中間層が助からない
著書にも書いたことだが、俺のところにくる相談で今、最も多いのは、
問題を抱える子供が30~40代、親は60~70代という家族構成だ。
この世代の親は、働き盛りの年代を好景気の時期に過ごしているため、
現在の収入はともかく、生活様式だけを見たときには、
「中間層」にあてはまることが多い。
つまり、持ち家を所有し、趣味や余暇を楽しむ余裕もあり、
子供には教育を含め、豊かな暮らしを与えるなど、
それなりの暮らしをしてきた家族である。
両親が立派な学歴や職歴を持っていることも多く、
アカデミックな子育てをしている。
そのような家庭で、子供が精神疾患を発症し、
長年、自宅にひきこもるような事態に陥るとどうなるか。
子供は、飯もまともに食わない、昼夜逆転の生活を送る、
家の中で器物破損を行い、部屋をゴミ屋敷化する、
何年も風呂に入らない、便所以外の場所で排便や排尿をする……
といった問題行動をとるようになる。
これらの問題行動は、精神疾患が理由で引き起こされている場合もあるが、
俺には、子供が、超・原始的なやり方で、親を責めているようにも見える。
とくに、何年も風呂に入らず異臭を放つとか、ところかまわず排泄することは、
アカデミック=いわゆる「お勉強」とは、ほど遠いところにある行為だ。
その行為が、親にどれだけの精神的・肉体的ダメージを与えるか。
子供はよく分かっていて、やっているのではないか?
そんなふうに、思うことさえ、ある。
現実に、親は子供のそういった行動に対して、
アカデミックな方法=理屈や理論で、解決しようと試みる。
無理やり抱きかかえてでも病院に連れて行くような、
いわゆる原始的な対応は、とれずにいるのである。
で、子供から暴言を吐かれたり、「死ぬ」「殺す」と脅されたりという、
これまた原始的な反抗にあい、あっさり引き下がっている。
このような中間層の家族ほど、きちんと手順を踏んで
行政機関に相談にもいっているのだが、具体的な解決には至っていない。
保健所からは「家族でやってください」「何かあったら110番通報を」
とアドバイスを受けるが、親子の揉め事で警察を呼ぶのは…と躊躇してしまう。
医療機関からは、「本人を連れてくれば診てあげる」と言われているが、
そのためには、民間の移送サービスを利用するしかない。
今は、保健所や医療機関が、家族に対して
積極的に民間の移送サービスを利用するよう勧めることもある。
ちなみに、精神障害者移送サービスを行っている民間業者は、
現在、全国に300社ほどあると聞く。
安い金額で利用できる業者もあるようだが、中には、
本人と話しもせずに、いきなり縛ったり、手錠や足枷をはめたり、
暴れる患者に対して暴力で押さえつけて連れて行く、
そういう業者が横行しているのも、事実だ。
ここにあるのもまた、超・原始的なやり方である。
これは、いくら病気が理由といえども、
家庭内で原始的な行動を繰り返す子供に対して、
親が望むようなアカデミックな解決方法は、もはや通用しない、
ということの、あらわれなのかもしれない。
しかし、いくら原始的なやり方といっても、
対象者をいきなり縛り、暴力で押さえつけて連れて行くのでは、
あまりに前時代的すぎて、情けない。
それこそ、対象者の尊厳を踏みにじる行為だ。
だからこそ、最良の原始的なやり方を、真面目に考える必要がある。
もう、学術的なことを、四の五の言っている場合ではないのだ。
そもそも、これまでに何十年と、心理の専門家や学者たちが、
ひきこもりや家庭内暴力、精神疾患など家族の問題に対して、
学術的に考察し、いろんな意見を述べてきた。
それに関する書物も、山のように出版されている。
だけど、問題の数が減っているようには思えないし、
むしろ、家族が長きにわたって苦しんでいる現実がある。
その究極が、親族間の殺傷事件の増加、という現実だ。
俺が思う最良の原始的なやり方とは、本人の尊厳を尊重し、
危機管理、コンプライアンスを遵守した上で、
身体を張って本人と家族を助けるやり方のことである。
家族からの話を丁寧に聞き取り、調査や視察を踏まえて、
迅速に家庭内に介入する。
必要に応じて、精神科医など専門家にも同席してもらい、
本人とコミュニケーションをとる。
そして、各専門機関につなげる。
それができる公益財団法人(スペシャリスト集団)を、
早急に作らねばなるまい。
たしかに、子供がおかしくなる要因を作ったり、
問題を肥大化させてしまったりした責任は、親にもある。
しかし、アカデミックに生きてきた中間層の親ほど、
これまでずっと、真面目にコツコツと働いてきている。
勤労や納税の義務だって、きちんと果たしてきた。
そういう親に対して、子供の問題だけは「親の責任」とばっさり切り捨て、
法律や制度上にある行政のサービスさえ受けられないという現状は、
やはりおかしいと、俺は思うのだ。