こころのダム決壊をいかに防ぐか
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(以下引用:日本経済新聞2015年9月17日)
小学生の暴力が過去最多 14年度1.1万件、低学年で増加
2014年度に全国の小学校で起きた児童の暴力行為は前年度比572件増の1万1468件と4年連続で増え、過去最多を更新したことが16日、文部科学省の問題行動調査で分かった。中学校、高校はいずれも前年度より減少しており、同省は「早い段階から子供に寄り添った対応が重要だ」としている。
調査によると、中学校での暴力行為は3万5683件(4563件減)、高校は7091件(1112件減)。小中高全体では5103件減の5万4242件だった。
小学校での暴力行為の内訳は「児童間の暴力」が7113件で最も多く、「教師への暴力」が2151件、「器物損壊」が1997件で続いた。各地の教育委員会へのアンケートでは「教師が小1に何度も蹴られ、病院で受診した」「登校中に通行人から注意を受け、暴力をふるった」などの事例も寄せられたという。
小学校で増えた背景については「同じ学校で繰り返し暴力行為が発生したり、同じ児童が複数回暴力行為に及んだりする」「感情のコントロールがうまくできない児童が増え、ささいなことで暴力に至る」との回答があった。
加害児童数は小1が621人で、学年別の統計を始めた06年度に比べると約5倍に、小2は1017人で約4倍にそれぞれ増えた。小5は約3倍、小6で約2倍で、全学年が増加傾向の中でも特に低学年が目立つ。
同省の担当者は「中学や高校ではスクールカウンセラーや警察との連携が進んでいるが、小学校でも児童をケアする体制の整備を急ぐ必要がある」と話す。
病気や経済的な理由以外で年間30日以上欠席した「不登校」の小中学生12万2902人の状況も調べた。不登校のきっかけは「不安など情緒的混乱」が3万6603人で最も多く、「無気力」が3万1824人、「いじめを除く友人関係をめぐる問題」が1万7813人で続いた。
調査では例年、いじめの認知件数も公表しているが、今回は10月下旬に公表する方針。13年度の調査で都道府県の1千人当たりの認知件数に最大83倍の開きがあったことなどを踏まえ、同省が14年度について異例の再調査を求めたため。
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数日前の記事であるが、俺のような仕事をしている人間からすると、
子供の問題の低年齢化というのは、ひしひしと感じていることではないだろうか。
俗に言う「キレやすい」子供の増加という側面もあるのかもしれないが、
キレやすくなったのは、子供だけではない。
ちょうど産経新聞に、こんな記事も載っていた。
(産経新聞9月19日)
親子関係の不和にしても、他者とのトラブルにしても
それ自体は、はるか昔から、あったことなのだ。
かつては、悪態をついたり、舌打ちしたり、
やっても壁を殴ったり蹴飛ばしたりするくらいの行為で収まっていたことが、
今はいきなり「刺す」「殴る」という、命のやりとりになっている。
その回路の短さにこそ、時代の変化が現れているように思う。
今は、ネットで調べればたいていのことが分かり、買い物もいつでもできる。
情報にしても品物にしても、欲しい物が手に入るスピードは、とても早い。
人間関係においても、共通の趣味がある、利害関係が一致するというような
即物的な理由があれば、簡単に人と会って、その場を楽しむことができる。
その分、時間をかけて何かを成しえるとか、
徹底して相手を理解して、こころを尽くすようなやり方は、あまり望まれない。
俺の仕事でもそうだけど、誰もが、
「早い結果」や「分かりやすい答え」を求めている。
気長に待つとか、長い目で育てるとか、
そういう感覚が、許容されなくなりつつある。
家族関係においても、同じである。
ちなみに、俺のところに相談に来る家族の特徴の一つに、
「家族全員が常に欲求を言い合っている」というのがある。
親も、対象者以外の子供も、会話となると、
それぞれが互いの欠点、社会の欠点をあげつらい、
「ああしてくれたらいいのに」「こうしてくれたらいいのに」
ということばかりを、言い合っているのである。
その行き着く果てが、「死んでくれたらいいのに」だ。
こういう家庭では、子供が幼い頃から、
利害関係に基づく会話ばかりが、交わされている。
たとえば「金」が分かりやすい例だけど、
「塾にいくら、学校に通うのにいくら、かかっているんだから」
という話を、親がしょっちゅう子供に言って聞かせている。
子供は考えるより先に、「結果を出さなきゃ」「親に感謝しなきゃ」
という意識を植えつけられる。
あるいは、子供に対して、「〇〇しろ」「〇〇するな」というような、
短い、刺すような言葉での押しつけを、繰り返している。
こんな家庭環境で育ってきて、その子供が社会(学校)に出たときに
「忖度する」「我慢する」といったことが、できるはずがない。
とくに、学校や、電車内のような空間では、
金銭のやりとりが介在しない分、
一瞬で黙らせる方法をとるしかなくなる。
それが、「刺す」という行為の正体だ。
人間は誰しも弱さを持っている。
どんなにできた人間だって、腹が立ったり、
イライラしたりすることもある。
本来であれば、心のダムが決壊する前に、栓をゆるめて、
少しずつ放水するような、そういう手当が必要なんだけど、
子供を壊す親にかぎって、栓をゆるめず、がんがん水を入れまくる。
また、このような家庭の親ほど、
表面的な近所付き合いや、ママ友付き合いは上手だが、
本音で話せる友人・知人がいない。
第三者が見て分かるくらい、子供がおかしくなっていても、
助言や介入をしてくれる人物が、周りにいないのだ。
一つ救いがあるとすれば、今は昔に比べて、
相談機関の数自体は、格段に増えた。
子供(とくに小学校を卒業する年齢まで)であれば、
学校をはじめ行政(児童相談所)などが、
比較的、積極的に関わってくれる。
親自身が初期に気づき、歩み寄ることができれば、
第三者の協力も得られやすい環境ではあるのだ。
子供が幼いうちほど、「親子の絆」なんてものに拘泥しがちだが、
第三者に入ってもらって、親とは違うやり方で本人に接してもらう。
そのほうが、よほどいいだろうと思えるケースも、少なくない。
それにしても、家族にしても、それ以外の人間関係にしても、
利害だ、金だ、にとらわれることのない関係、
どうでもいい話で「ハハハ」と笑いあえる時間、
それこそが、ダムの決壊を防ぐ、特効薬なのかもしれないな。