野生のおサルさん①
昔、薬物依存症に関する取材をしていたときに、
専門医から、このような例え話を聞いた。
「(薬物)依存症は、自分の中に野生のサルが住んでいるようなもの」
ようするに、依存症は精神の病気であって、
(薬物乱用など)悪さをしているのは、自分ではなく野生のサルである。
だから依存症の治療に際しては、本人を責めるのではなく、
いかにして自分の中にいる野生のサルを飼い慣らすか、
それを本人が理解できるよう、導いていく必要があるのだ。
当時はその話を、薬物依存症の実態をあらわす上手な例えだな、
と思って聞いていたのだが、
俺は今になって、薬物依存症に限らず、人間は誰でも、
腹の中に野生のおサルさんを飼っている、と思うようになった。
もちろん、俺の中にもいる。
このおサルさんは、分かりやすく言えば「欲求」である。
だから、ひとそれぞれ、おサルさんの行動も違う。
食欲や物欲、金銭欲、性欲のような分かりやすいものもあれば、
名声や虚飾といった欲もあるだろう。
働きたくない、怠惰でいたいという欲もある。
こいつは野生なだけあって、ときどき激しく暴れだす。
その暴れぶりが常軌を逸したときには、事件や事故につながる。
あるいは、薬物やアルコール依存などのように、
精神科医療にかかる必要が出てくることもある。
自分自身や第三者を傷つけるほどに、おサルさんが暴れている以上、
刑務所や精神科病院のような閉鎖性のある場所に閉じ込めるしか、
おサルさんを抑える手段がないのである。
しかも、精神科の薬で大人しくなるおサルさんであればまだ良いが、
薬が効かないおサルさんだっている。
俺は、このおサルさんは、
幼少期からすくすくと育てられているものだと思う。
もともと持って生まれた部分もあるだろうし、
親のおサルさんを、そのまま受け継いでいる、遺伝のような例もあるだろう。
親が、子供のおサルさんを増長させるような育て方をしている場合もあるし、
そもそも親自身が、自分の中のおサルさんを制御できずに生きている場合もある。
ひとは、人間として生きている以上、年とともに知識も増え、理解力も深まり、
人間的な成長を重ねていくもんだと、漠然と考えている。
しかし、この野生のおサルさんだけは、年をとるごとに、
「欲求」というその一点を、どんどん肥えさせていく。
たとえば先日、司法試験問題を漏えいしたとして、
明治大法科大学院の教授が告発されていたが、
あれなんて、まさに野生のサルが暴れちゃった、一つの例である。
大学院の教授、しかも法律を専攻しているような人物である。
ひと一倍勉強もし、やっていいことと悪いことの区別だって、
一般人よりは、遙かについていたはずなのに、
教え子の女性に対する好意から、暴走した。
野生のおサルさんとは、そのような存在である。
そしてこのおサルさんは、一生懸命、勉強をしたからと言って
大人しく真面目になってくれるものではない。
たとえば、俺が自立を支援してきた若い人たちを見ても、そう思う。
俺と会って生活を正して、違法薬物や違法行為などはやめられても、
おサルさんを制したことにはならない。
なぜならおサルさんの欲求が、
単純に「薬物や犯罪をやること」とは、限らないからだ。
俺が見てきた限りでは、彼らの腹にいるおサルさんは
「金銭欲」だったり「性欲」だったり「物欲」だったり、
あるいは「人から賞賛を浴びたい欲求」「認められたい欲求」などを抱えていた。
だから仮に、薬物や犯罪はやめられても、
今度は別の形で、その欲求を埋めようとする。
そして再び、同じような失敗を繰り返す。
彼らのそういう姿を見ているうちに、俺はだんだん、
大事なことは、自分の腹の中にいるおサルさんが何者なのか、
見極めて、理解して、向き合う、ってことだと学んだのだ。
この「野生のおサルさん」については
いろいろ書きたいことがあるので、明日に続く!