なんでも変わっていくのだ!
今になって振り返ってみると、俺がこれまでに出会った、
「この大人は、すごいな」と思えるひとたちは、
驚くほど同じことを言っていた。
その中でも、最近、思い出して噛みしめているのは、
「時代はどんどん変わっていく」ということである。
大学時代に出会った唐木先生なんて、
「暗記は過去のものだから」と言ったことがあった。
ようするに暗記というのは、「すでにあるもの」を覚えることでしかなく、
そこに新しいものは何もない。
だから、暗記を過信してはいけない、と言っていたのだ。
当時は、まさに暗記至上主義の時代である。
その時代に、こんなことを言うもんだから、
大多数の学生は、「なんだ、コイツ?」とぽかーんとしていたな。
前にもブログで書いたけど、携帯電話もなかったあの頃に、
いずれインターネットなるものが普及し、
社会が大きく変わるんだよ、ということを教えてくれた。
そして、今、俺が教えを乞うている人生の先輩も、
「時代が変わるのは当たり前。それによって次から次へと問題が起きるのも当たり前」
ということを、よく言っている。
だから、幾つになっても、新しいものをどんどん吸収して、
間違いに気づいたらすぐに軌道修正して、と、
すごいスピード感で仕事をしている。
常に「問題が起きるのは当たり前」という認識があるからこそ、
突発的なアクシデントがあっても、まったく動じない。
かっこいいな、と思うよね。
反対に、俺のところに相談に来る親を見ていて、思う。
彼らの失敗の一つは、自分たちの価値観を、
強烈なまでに、子供に押しつけてきたことにある。
自分の私利私欲を満たすために、
子供をモノのように扱っている親は論外だが、
中には、悪気があったわけではなく、
「良かれ」と思って、そういう躾をしてきた親もいる。
後者はだいたい、親自身はそれなりの企業に勤め、
(あるいは公務員などの安定した職業に就き)
家庭をもって、悪くない暮らしを送れてきている。
だからこそ、自分たちがやってきたやり方……
たとえば、いい学校に行けとか、資格をとれとか、○○になれというような、
そういう育て方を子供にしている。
はっきりと子供には言わないまでも、
子供がそういう生き方を選択するように、
道をどんどん狭めて、導いてしまっている。
ところが、どうだろう。
たかだか数十年の間にも、時代は大きく変わって、
今や、いい学校に行ったって、資格をとったって、○○になったって、
メシが食えるとは限らないし、幸せになれるとは限らない。
先日は、とうとう大阪市で市職員二人が、「能力不足」を理由に、
民間でいう解雇にあたる「分限免職」の処分を受けた。
これが全国に波及するかは分からないが、公務員でさえ、
絶対的な安定感のある仕事とは、言えなくなりつつある。
こうして、予想外に社会のレールからこぼれ落ちた子供たちが、
心の病気になったり、中高年ニートと化したりして、
「お前ら(親)の言うとおりにしてきたけど、
幸せになんか、なれなかったじゃねーか!」
「こんな人生になったのは、お前らのせいだ!」
と、親を暴力や暴言で苦しめている。
だからこそ思う。
こういう家庭の親に足りなかったのは、
「時代は変わる」という認識ではなかったか。
昨日のブログのコメントに、
「子供はどちらに躾けたら良いか?」という
質問があった。
たしかに現状だけみれば、
要領よく生きる人間ほど、社会的地位は高く、
見た目だけは、立派な、恵まれた生き方をしている。
愚直に地味に生きる人間は、他人から虐げられることも多いし、
生活が苦しかったり、きつい思いをしたりもしている。
どちらが幸せか?
それは俺には分からない。
それぞれの価値観があるからだ。
いくら大金があったって、子供(家族)のこころがぶっ壊れていたら、
幸せでもなんでもない、と思うひともいるだろうし、
子供(家族)がおかしくなろうが関係ない、
金や名誉や地位の方が大事だ、というひともいる。
だけど、数年後、十数年後をみたときには、
自ずと答えは出るのではないかな。
最近は、「老後破産」に関する報道も、さかんにされている。
65歳時点で3000万円の貯蓄があっても、長生きすることにより
破産をする可能性もあるのだそうだ。
こんなことを聞いちゃうと、どんな状況にあっても、何歳になっても、
とりあえずメシが食えるタフな精神力と丈夫な身体。
それが一番、大事なんじゃないかと、俺は思うね。
だいたい、いくら金や宝石や立派な家があったって、
棺桶や墓場にまでは、持っていけないんだから。
その中で、人生を少しずつ楽しくするヒントは、
「金を出すより、アイデアを出せ!」
これも俺の師匠たちの受け売りだけど、いい言葉じゃねーか!