選り好み
俺が受けている相談や依頼のケースに限って言えば、
最近、精神科において、入院患者の受け入れ選択権は、
ほとんど病院側にある、ということを、感じている。
患者を受け入れない理由が、病名(この病気の専門医がいないから、など)
にあるのならば、まだ理解もできるのだが、そうではない。
病識がなく、治療を拒否している。暴力や暴言がある。
高学歴で、理屈がたつ。入院後、揉め事を起こしそう。
こだわりが強く、疎通性がない……
など、扱いが難しそうな患者だから、受け入れない。
つまり、病院側(職員)の都合で選り好みされることが、非常に多いのである。
本人の心身の健康が極限まで害されていて、
家族も困り果てている、という要素は、残念ながら勘案されない。
もちろん、家族に対しては、表面的な理由を述べて断るため、
家族は本当の理由に気づかないまま、ひたすら、病院探しに奔走することになる。
長年、この仕事をやってきた俺たちでさえ、最近は
病院を確保することの難しさを感じているくらいだ。
中でも、俺のところへの相談では、
対象者をなかなか医療につなげられず、未受診のまま、
けっこうな年数が経ってしまっている例が多々ある。
親は、「子供が精神疾患かもしれない」と思いながら、
長らく医療につなげられなかった理由を、
「本人を説得できない」「連れていく手段がない」と説明するが、
そこにはやはり、親の都合も見え隠れしている。
親自身が、子供が心の病気であるということを認めたくない。
精神疾患という病歴をつけたくない。
本人が「治療を受ける」という気持ちになるまで、待ちたい。
無理やり病院に連れていくことで、本人から恨まれたくない。
そういう思いが、少なからず、ある。
しかし、心の病気は、放置して自然に良くなることは、滅多にない。
症状が悪化して、日常生活もままならなっていく。
それほどの事態になってから、親が音を上げて、
俺のところに相談に来るのだが、
とにかく今は、病院が患者を選ぶ時代だ。
未受診で重症化してしまった患者ほど、
予後が測りにくくなるため、病院は診たがらない。
親が「入院させたい」「もう入院しかない」と思ったときに、
受け入れてくれる病院があるとは、限らないのだ。
また、未受診だからこそ家族は
「設備の整った、きれいな病院で治療を受けさせたい」と望む。
しかし、もう一つ俺が知っていることを伝えておくと、
設備の整ったきれいな病院ほど、入院を希望する患者(家族)も多いため、
言葉は悪いが、病院が患者を選べる立場にある。
仮に入院できても、家族が思うよりも早く、退院を促される。
俺は著書の中で、入院治療を受け入れてもらうまでには、
記録やエビデンスを提示して、誠心誠意、お願いをするようにと書いた。
それはあくまでも、多少の時間はかかっても、じっくり取り組みたい。
入院治療を機に、本人の生きてきた歴史を振り返り、親子関係も見直したい。
そのような覚悟のある親に対する、アドバイスである。
そして、そこまで腹がくくれているのならば、
「設備の整ったきれいな病院」にこだわらずに、
一刻も早く医療につなげることを、優先すべきだ。
設備の古い病院、年配の医師がいる病院、そういった病院のほうが、
職員の経験値も高く、親身になって話を聞いてくれる場合がある。
明らかに精神疾患である、あるいはその兆候が顕著にありながら
病識がなく、治療を拒否している患者(対象者)を、
医療につなげられるのは、家族でしかないのである。
とくに、家庭内にひきこもって、家族に対してのみ問題行動を起こしているケースや、
陰性症状の強いケースの場合には、
家族がSOSを発しない限り、医療につながる機会がない。
傷つき、生命の危険に脅かされている本人を助けるために、
今の家族力で、どうすれば最善を尽くせるか。
そのこところをよく考え、決断し、
一日も早く、医療につなげることがベストである。
家族が、入院先や方法、手段について、理想にとらわれすぎるようでは、
患者を選り好みする病院と、同じことをしているに過ぎない。
ちなみに、患者の選り好みができる病院は、経営もうまくいっている。
だからこそ、病院をきれいに建て替え、設備も充実させられる。
それにより、さらに経営がうまくいくというサイクルだ。
これは、家族の実態とも、似ているところがある。
病院を選り好みする家族ほど、けっこういい家に住んでいて、
生活自体には、余裕があったりする。
しかし、生活に余裕があるからこそ、「本人の意思」という名目のもと、
ひきこもっていても、何の不自由もないような生活を与え、
わがままをきいて、金銭的な援助を続けてしまっていることさえある。
それが、医療につなげることへの遅れにつながり、
結果として、未受診の期間が長くなり、症状を悪化させてしまうことにもなる。
子供を医療につなげるべきかどうかと悩んでいる家族は、
この現実を、よく理解してほしいと、俺は思うのである。