社会貢献②

子供の問題を抱える家族を見ていると、家庭内で、

社会貢献について考える機会がなかったのではないか、

と思わされることが多い。

 

親の人生だけを振り返ったときには、

仕事をもち、勤勉に働いてもいる。

別に悪いことをしてきたわけでもない。

 

では、何がいけなかったのか? と考えてみると、

「自分たちが豊かになる」ことが最優先で生きてきた。

そういうケースが、非常に多いのだ。

 

たとえば、今、俺のところには、子供が30~40代でひきこもり、

その親は、60~70代という相談が、多数を占める。

 

この60~70代の親(で、俺のところに相談にくる親)は、

父親は仕事に就いて、中流以上の生活ができるくらい稼いできた。

母親は専業主婦(もしくはパート)で、経済的には父親に依存している。

という夫婦構成が、ほとんどである。

 

こういう家庭でよくあるのが、父親は仕事を通じて、経済活動に参加し、

部下を育てるなど、いわゆる社会貢献をしている。

 

しかし家庭を牛耳る母親が、子供に向かって、

「お父さんは仕事ばかりで、家庭を顧みない」と愚痴をこぼしたり、

「稼ぎが少ない」「接待で酒を飲んでばかり」などと不満をつらねたりしている。

 

父親を見る目線が、「家族」や「夫婦」からのものでしかなく、

父親が「社会」でどう生きていているかを、子供に伝えられていないのだ。

 

そのくせ子供には、大企業への就職や公務員の道を目指させたり

医師や弁護士など、「師」や「士」の就く職業に就かせようとする。

 

それが、「世のため人のため」の教えの結果、

子供が自ら選び取った道なら良いのだが、実は、

「父親以上(もしくは同等)の学歴、職歴をつけさせたい」

「子育てを失敗したと言われたくない」という、

母親の歪んだ欲求が隠れていることも少なくない。

 

もちろん、母親だけが悪いのではなく、

父親が暗にそういう結果を求めていたり、

子育てを母親任せにしてしまっている、ということもある。

 

親が子の幸せを願うのは当然だが、

「いい思い(安定した収入や物欲を満たすなど)をしたい」がゆえの

学歴や職歴では、つまずいたときに踏ん張りがきかない。

 

そして、こういう家族ほど、「チーム」になれていない。

 

家族とは本来、社会につながるための基盤である。

親が子供を育てるのも、ゆくゆくは社会に送り出すためだ。

 

しかし、親が「自分たちが豊かになる」ことを

最優先に考えているような家庭では、

子供も自然とそういった思考になりがちである。

 

当然、それぞれが、個々の思惑で生きることになり、

社会につながることができないどころか、

家族として「チーム」にもなれない。

 

困難な事態が起きたときほど、家族がバラバラになってしまう。

一致団結して立ち向かうことができないのだ。

 

また、このような家庭の親ほど、

他人には本音を言わず、弱みを見せることもない。

近所付き合いや親同士の交流にしても、

表面的な付き合いは上手だが、深いつながりを持とうとしない。

 

家族の状態が良いときは、それでも困らないが、

たとえば子供のことなどで問題が起きたときには、

誰にも相談できない、どこにも助けを求められない、

という事態に陥ってしまうのである。

 

この仕事をしていると、

親には社会的地位もあり、交友関係もそれなりにあるのに、

なぜ、こんな状態になるまで、助けてくれる人がいなかったのだろう、

と思うことが、本当によくあるのだ。

 

今は女性も働く時代で、共働き家庭が増えているので、

上記のような家庭は減っていくかもしれないが、

また新たな問題の形が出てくるのだろう。

 

「社会貢献」というと、堅苦しいが、

やはり「世のためひとのため」という概念を、

意識して家庭の中に入れていくべきだと、俺は思う。

 

仕事も社会貢献の一つであるわけだし、

親がそこに自覚を持って取り組み、その背中を子供に見せることが、

「社会やひととつながって生きる」という、大事な教えになるのだ。