こころのコミュニケーション
今や民間の移送会社は乱立していて、
その中で俺を指名してくる家族は
当然のことながら「説得」に期待をかけてくる。
しかし中には、「押川さんが説得してくれたら、
子供も会話に応じて、コミュニケーションのとれる人間になるんじゃないか」
という、とてつもない理想を抱いてやってくる家族がいる。
ちょっと待ってくれ、と言いたい。
なぜなら、こういう家庭ほど、
親子で「こころ」のコミュニケーションをしてきていないから、
子供は、「こころ」のコミュニケーションを知らずに育っている。
そういう子供に対して、俺は、「病院にいこう」と説得することはできる。
俺なりにこころを置いて対応もするが、たかだか数時間の説得で、
相手が会話に応じ、こころを開いてくれるようになるわけではない。
もちろん、俺が携わってきた中には、次第に
人間らしいコミュニケーションがとれるようになったひともいる。
しかしそこには、長い年数がかかっている。
ヘタしたら、5年、10年という時間がかかる。
相談の際に、「そのくらい時間がかかる問題ですよ」
と話しをすると、絶句する親もいるのだが、
人間のこころを、どれだけ軽く見積もっているのかな。
哀しいことに最近は、「こころ」のコミュニケーションが
できていない親子からの依頼が、圧倒的に多い。
これを押川流に言うと、
「感性」がまったく働いていない!
親自身に、子供がこころの危機に瀕していることを、
感じとる力が、ないのである。
だから、子供が問題行動を起こすようになったときに、
その理由も、どうして良いかも分からず、おろおろする。
そして、子供が放つ表面的な言葉を鵜呑みにし、
金やら食い物やらを与え、機嫌をとるだけの生活になる。
挙げ句の果てにはその生活を、「あの子がそう望んだから…」
と、本人の意思として、片付けてしまう。
子供の、「こんな生活から抜け出したい」「助けてほしい」
というこころの声を、キャッチすることができていないのだ。
俺が「感性」のアンテナとして重要だと考えているのは、
「(相手が)何を考えているのか」を感じること。
とくに「何に困って、悩んでいるのか」を、
言われなくても、気づいて対応してやることだ。
なぜなら、嬉しい、楽しいというプラスのことは、
分かりやすいし、共有もしやすい。
逆に、困っている、悩んでいる、嫌だと思っている
といったマイナスのことは、深刻なものほど見えにくく、親に言いにくい。
だからこそ、親が感性をはたらかせて、キャッチする。
そのうえで、的確な声かけをするなり、具体的に介入するなり、対応をとる。
親の教育や躾に関しても、同じことが言える。
今は、教育や躾のノウハウ本もたくさん出ていて、
これをしたほうがいいとか、これはしちゃいけないとか、
ありとあらゆることが書いてある。
読めば読むほど、何をして良くて、何をしちゃいけないのか、
かえって頭を悩ませている親も、いると思う。
でもその手のノウハウって、万人に共通するものではないんだよな。
子供はそれぞれ能力も性格も異なるのだから、
向き不向きだって、当然ある。
いくらスパルタ教育は良くないと言われても、
親にしてみれば、勉強やスポーツ、習い事など
できるだけ良い道筋を作ってやりたいと、考えるものである。
子供に才能の片鱗でも見られたときには、
ついつい熱中もしてしまうだろう。
だからこそ大事なのは、子供の様子から、
本当の気持ちや適性を感じとる「感性」なのである。
子供が、怠けたい気持ちから「嫌だな~」と言っているなら、
叱咤激励して続けさせる選択肢もあるだろうけれど、
もし、「死ぬほど嫌だ」と思っているなら?
将来的に子供がこころをぶっ壊す可能性がある以上、
無理やり強制させる理由など、どこにもない。
頭の良い子や、真面目な子、優しい子、感覚の鋭い子ほど、
親の期待をくみ取って、「嫌」とは言えないものである。
思春期から青年期の、もっとも感受性のゆたかな時期に、
「死ぬほど嫌だ」と思うことを強制されて過ごしては、
その場は乗り越えられても、いつか破綻をきたす。
前もブログに書いたが、
子供は、親からされて(言われて)嫌だったことを永遠に忘れない。
だけど親のほうは、子供を傷つけた事実に気づいていなかったり
あっさりと忘れてしまったりしている。
その落差が、子供の怒りを増大させる。
子供が20代、30代のいい年になって、ひきこもりになったり、
問題行動を起こしたりするケースでは、
「大学受験に失敗したから」「就職できなかったせいだ」
と理由付けをする親がいるが、
SOSのサインは、もっと前から出ていたはずで、
親の「感性」がはたらかずに気づかなかっただけのことだ。
子供を壊す親になりたくないなら、
親自身が、感性を育んでいくしかない。
どうやったら感性を育めるのか?
それは俺なりに考えるところがあるので
そのうち書くつもりだ。