過去に縁あって更生を助けた若者と、

先日、久しぶりに会った。

 

今、彼はアルバイトで生計をたてながら、自立を目指している。

アルバイト先は肉体労働なので、職場の先輩から、

体育会系並にしごかれているらしく、顔は真っ黒に日焼けし、

体つきも、だいぶがっしりしていた。

 

いろいろと近況を聞いていると、彼がふと、こう言った。

 

「実は僕、職場の先輩からよく、『挙動不審な動きをするな』

と注意されるんです。『シャブ中みたいな顔してるね』とも

言われたことがあります。僕ってそんなに、怪しいですか?」

 

「シャブ中みたい」とは、またすごい表現だが、

はっきり言って、頷けるものがある。

 

ちなみに、彼がやってきた悪事というのは、薬物ではない。

他人を利用し、いい思いをしようとして、逆に利用され

自覚がないまま、犯罪の片棒を担いでいたのである。

 

そういう人生を歩んでいると、シャブをやっていなくても、

ひと様から「シャブ中みたい」と指摘される顔つきになる。

 

生き様は顔に出るものだと、つくづく思う。

 

かつて、自立や更生に携わった若者たちには、

たびたび、証明写真を撮らせていた。

 

実際に、アルバイトや就職の採用試験、学校への進学などで

必要だから撮っていたのだが、余った分に関しては、

事務所のスタッフが預かって保管するようにしていた。

 

なぜかというと、シンプルな証明写真には、

そのときの「素の顔」が写るからだ。

 

とくに、服装や髪型、化粧などでごまかすことをやめさせ、

完全に素顔の写真を撮らせてみると、

悪いことをやっている奴は、やっぱり、悪い顔をしている。

 

アメリカで犯罪者のマグショットってあるだろ?

言い方は悪いが、まさにああいう顔つきなんだ。

 

だけど、自分のやってきたことを受け止めて、

生き直そうと、地に足つけて努力した人間は、

確実に顔が変わっていく。

 

それはもう感動するくらい、健康的で、しっかりとした、

「生きている」顔つきになるのだ。

 

年数が経って、もう一度、証明写真を撮り、

かつての写真と並べてみせると、

ほとんどの奴が、昔の自分をみて、絶句する。

 

「もう絶対に、こんな顔になりたくない。

悪いことはしません、真面目に生きていきます!」

と、改めて宣言する者さえいる。

 

反対に、表面的には更生したように見せていても、

内面が変わらない人間は、何度、写真を撮っても悪い顔のままだ。

そういう奴は、自ら再び転落していった。

 

しかしこれは、過去に悪いことをしてきた人間に、

限ったことではないと思う。

 

法に触れるような悪いことはしていなくても、

卑しい、さもしい生き方をしていれば、それは顔にあらわれる。

 

おっさんおばさんになると、証明写真を撮る機会はあまりないけど、

たまに撮ってみると、面白いのかもしれないな。

もちろん、髪型や化粧で自分をいじるのはナシにして、

まったくの「素」で撮ってみる。

そこには、「本当の自分」というものが写っているはずだ。

 

話は戻るが、「シャブ中みたい」と指摘された奴は、

年齢もまだ若い上に、人生やり直しのスタートを切ったばかりだ。

 

出だしが最悪だからこそ、これから彼の顔がどう変わっていくか、

非常に楽しみである。

 

一般のひとからみたら、怪しい顔つきの悪い奴かもしれないが、

俺にとっては、輝かしい、新人ルーキー君なのだ。

 

頑張れ! と言いたい。

 

……かくいう俺の「顔」は、怪しいこと、この上ないけどな!!