幸先の良いスタート~アメリカメディア②
元旦早々から、海外メディアの取材班とミーティングを行った。
今回、彼らは、TBS水トク!で放映された『THE 説得』を観て、
こういう映像が撮りたい! と、俺のところに来た。
しかし、俺の仕事の根幹に関わることだ。
「これとこれを撮りたい」と言われて、
即座に「はい、どうぞ」とは、口が裂けても言うはずがない。
今回の短い滞在スケジュールをはじめ、
おたくらの都合に合わせるのでは、とても準備が足りない。
俺が、メディアの取材に応じるのは、「志」が一致した時だけだ。
そのように説明し、いったんはお引き取りいただいた。
ところが、その後も何度も何度も何度も取材依頼があり、
せめてインタビューだけでも……という話になった。
それで新年一発目から、話し合いの席に着いたのだが
向こうの要望は、インタビューだけでなく、
『THE 説得』の映像を使わせてほしい、というものだった。
よくよく聞いてみると、アメリカで放送するためには、
「アクション」の要素が、必須なのだそうだ。
それがないと、視聴者はまったく観てもくれないらしい。
『THE 説得』でいえば、俺の大立ち回りもそうだし、
対象者の部屋の中から、ペットボトルに入ったオシッコが見つかる場面などだ。
今回、いろいろなところへ取材にいったそうなのだが、
そういったアクションは、まったく撮れなかった。
アメリカに戻るリミットも迫っていて、時間がない。
そこで
「Mr.押川に、パソコンで『THE 説得』の映像を観てもらい、
その、パソコンに映しだされた『THE説得』の映像を、撮らせてくれ」
と、言ってきたのである。
ふざけんな!である。
『THE 説得』は、俺はもちろん、TBS側の制作陣が、
相当な「覚悟」と「志」をもって取り組んだ番組だ。
もちろんその根幹には、取材対象者である家族の方々の、
理解と協力があったからこそ、成しえることができた。
そして、あの番組を真剣に観てくれた視聴者の方々もいる。
俺からすると、多くの方々の「魂」のこもった映像なのだ!
100歩ゆずって映像を使うにしても、
まず、二次使用に関してはTBSの許可が必要だし、
それに付随して、TBSへの金銭の支払いも、当然発生する。
また、関係してくれた方々への説明や許可など、筋を通す必要もある。
ところが、いくらそういった説明をしても、海外プロデューサーは、
「こちらは時間がないのだから、今すぐ撮らせろ!!」の一点張りなのだ。
話しをしているうちに、だんだん分かってきたのだが、
欧米人の日本人への差別意識は、相当なものだな。
「アメリカでは、みんなテレビに出たがるのが当たり前だ!!」と言って、
「なぜ、お前だけは素直に取材に応じないのか!!」と、怒る。
日本には、日本のカルチャーやルールがある。
とくに、デリケートな家族の問題に関しては、
誰もおおっぴらにしたがらない。
取材などもってのほかで、承諾云々の前に、
まずは、家族と信頼関係を構築することから始まる。
そういったことを懇々と説明しても、理解しない。
と、いうよりは、理解しようという気がない。
「わざわざ海外から来て番組を作ってやるんだから、大人しく撮らせろ!!」
という態度を、終始、崩さないのだ。
先方の取材班には、日本人プロデューサー兼コーディネーターの方や、
日本人カメラマンの方も、スタッフとしてついているのだが、
彼らのことも、奴隷のようにこき使う。
俺を口説き落とせないとなると、今度は日本人のプロデューサーに対して、
「これまでのギャラは払わない!」「この先、海外で仕事ができないようにするぞ!」
と、脅し文句を言って、追い込むのだ。
今回やってきた海外プロデューサーが、特別にひどいのかもしれないが、
日本人のことは、小さな島国のおサルさんくらいに思っているようだ。
俺は頭にきたので、「お前のレベルは、YouTubeや!」と言ってやった。
そしたら相当、ムカッときたらしく、俺にまで、
「ぶっつぶしてやる!」というようなことを、
ギャアギャアギャアギャア言ってきた。
だから俺は「110番通報するぞ!」と言ってやった。
話し合いは深夜三時までかかったが、結局、決裂した。
参考までに、俺が投げつけられた罵詈雑言を記しておく。
「He is full of shit!」(こいつは、出まかせや嘘ばかりいっている!)
「This is bullshit!」(ふざけるな! 嘘つくな!)
「He is such a coward!」(卑怯者、臆病者!)
「Screw you!」(ふざけんな! くたばれ、バカ野郎)※fuck you の一段階ましな言い方。
「Fuck off!」(消え失せろ!)
俺は、これまでにいやっちゅうほど、
世間様からの誹謗中傷を、たっぷり浴びてきた人間だが、
とうとうワールドからも罵倒されるようになった。
人間として、ひとつ階段をのぼったような気がした。
幸先の良いスタートじゃねえか!
俺は元気が出てきて、事務所に戻ってから、書初めをした。