兵庫夫婦殺害 事件直前に祖父と口論 介護疲れ、確執か
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(以下引用:産経新聞 2月8日)
兵庫夫婦殺害 事件直前に祖父と口論 介護疲れ、確執か
兵庫県赤穂市の民家で住人の男性(69)と妻(64)が殺害された事件で、殺人容疑で逮捕された夫婦の実の孫で、養子縁組で息子となった会社員の少年(19)が、犯行直前に男性と口論になっていたことが7日、捜査関係者への取材で分かった。少年が勤務先を欠勤したのを男性が叱責したことがきっかけとみられ、兵庫県警赤穂署捜査本部は2人の確執が事件に発展した可能性があるとみて調べている。
捜査本部は同日、少年を殺人容疑で神戸地検姫路支部に送検した。
捜査関係者などによると、少年は仕事のかたわら男性の介護をしていたが、昨年12月ごろから周囲に「疲れた」と漏らすようになった。
1月10日ごろからは介護と自身の病気が重なり、約20日間連続で欠勤。事件数日前、男性から「働きに行け」などと叱責され、口論になったという。
少年は「遊ぶ金が欲しかった」と供述。犯行後に、自宅から通帳を持ち出していたといい、捜査本部は金銭面や生活面への不満を募らせていたとみている。
一方、少年の供述をもとに凶器を捜索していた捜査本部は同県佐用町でハンマーと包丁を発見。いずれも血痕が付着しており、鑑定を進めている。
司法解剖結果によると、男性の死因は胸を殴られ大動脈が破裂したことによる失血死、妻は首の静脈を切られたことによる失血死だった。死亡推定時期はいずれも3日ごろ。
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今年も1月から、親族間の殺人(未遂)事件が相次いだ。
今日、引用したのは、兵庫県赤穂市で祖父母が、
孫(戸籍上は子供)に殺害された事件である。
この加害少年と実の親との関係がどのようなものだったのか、
複雑な事情を感じざるを得ない。
別のニュースでは、肉体労働で得た収入の大半を
祖父母宅に入れていた、というものもあった。
祖父母の生活を支え、さらに介護ということになれば
19歳の少年には、荷が重かったことだろう。
世界の殺人事件の歴史をひもとくと、
19世紀初頭まで、子供による親殺しは
ほとんどみられなかったという。
尊属殺(家族・親族間の殺人)は起きていたが、
全体に占める割合は少なく、ほとんど推移もしていない。
また、親子間の殺人はあっても、大半は親による子殺しであった。
それではなぜ、近代社会において、
「子供が親を殺す」という事件が、起きるようになったのか。
お金(社会的な経済不振や、個人的な階級の浮き沈み)の不安が、
人格に与える影響については、メンタルヘルスのみならず
社会学の視点からも、指摘されていることである。
日本はまさに、バブル崩壊以降、
経済的な不安が払拭されないまま、現在に至る。
家族という小さな単位でみたときにも
親がお金を持っているからこそ、起きている親子の確執がある。
そのようなケースでは、親子関係におけるさまざまな背景はあっても、
最終的に行き着くところは、「お金の話」になってしまう。
親は親で「もう、子供のためにお金を遣いたくない」と言い、
子供は子供で、「自分は親のせいで、これだけ苦しんできたのだから
今後の人生において、金銭の補償をしてほしい」と言う。
引用した祖父母殺害の事件でも、加害者の少年は、
「遊ぶ金が欲しかった」と供述している。
少年は仕事もしていたわけだし、「祖父母の面倒は、もうみない」
と宣言して家を出る、という選択肢もあった。
それをせずに、殺害という道を選んだのはなぜか。
おそらく、実の親・祖父母との関係や、これまでの生育過程の中に
原因となる事柄があったのではないかと推測するのだが、
そういった「家庭の事情」も、もはや複雑すぎて、
少年は、説明する言葉を持たないのではないか。
本人にも、理解しがたい感情があったのではないか。
だからこそ、動機の第一声が「お金の話」に集約されてしまう。
そして子供のSOSや、心の声をすくい取る立場であるはずの、
我々大人たちも、その余裕をなくしつつある。
自分にできることを、見失わずにやっていきたい。