理解する

「成功でも志でも、成し遂げたいことがあるなら、

“理解ができる”ひととだけ付き合っておけば、間違いないよ」

と、ある方からアドバイスをもらった。

 

ここでの“理解ができる”というのは、

自分を分かってくれる、というようなパーソナルな話ではなく、

社会の仕組み、成り立ち、成功の秘訣といったこと……

分かりやすくいえば、「本質を理解する」力の有無である。

 

当たり前のことだが、何かを成し遂げようと思った時に、

最初から最後まで上手くいくことなんて、ないのだ。

いくら肩書きや経歴、立場、立ち位置があっても、関係ない。

 

成果を得たいならば、負を恐れずに、自分の力で、

どこまでも果敢に闘うしかないのである。

 

だが、それを分かっていないひとが、あまりにも多い。

 

自分がやりたくないことは、簡単にひとに振る。

常に誰かに依存し、便乗して、利を得ようとする。

自分の意見と相容れないことは、シャットアウトする。

自分が傷つくのは嫌だが、他人は平気で傷つける。

 

そんなやり方で、仕事や人生がうまくいくはずがないのに、

多くのひとが無意識に、こういった行動をとっている。

これらはすべて、“理解”の欠如からくるものである。

 

俺は特殊な仕事をしているせいか、これまでに、

いろんな業界のトップや、その道で実績を残したひとと、

話しをする機会に恵まれてきた。

 

彼らを見ていると、たしかにフットワーク軽く、

ひとが集まる席にも進んで参加をするし、

請われれば、見ず知らずの人間に会うこともいとわない。

 

しかし仕事においては、「このひと!」という人脈を厳選し、

限られたネットワークでしか、やらない。

とくに重要な仕事ほど、そうである。

付き合う相手を間違えれば、足下をすくわれるからだ。

 

そして、そのネットワークに参加できるのは、

ひと言で言えば、「理解ができる」ひとたちだけだ。

 

この「理解ができる」層にいるひとによれば、

理解力は、暗記による勉強では身につかないという。

単純に勉強をした、経験を積んだ、というのとも違う。

 

しいていうならば、死に物狂いで物事に取り組んできた。

何ごとも考えて考えて、考え抜いて答えを出してきた。

その経験が、本質を理解する力になっているという。

 

当然のことだが、経済を中心に世界を動かし、

消費する側ではなく、消費を生み出す側にいるのは、

「理解ができる」層のひとたちである。

 

とくにこの国はこの先、仕事を確保することや、

メシを食っていくことが、どんどん難しくなる。

消費財として消耗し、野垂れ死にするのが嫌ならば、

「理解ができる」人間にならなければならない。

 

それができないのであれば、

「このひとは」と思うひとの言うことを

「はい、分かりました」と素直に聞くしかない。

そうやって一生懸命パシリをやっていれば、

一つくらいは、本質がみえてくるはずだ。

 

俺たち凡人は、ムチャ振りされて「ハイ!」と動く、

それくらいの「理解力」はもっておかないと

本当に簡単に、淘汰されて終わる。

そういう時代が、ひたひたと迫っているのだ。