「頭がいい」ってなんだ?
俺はしょぼい大学をしかも中退した男だけど、これでもガキのときは、「頭がいい」って言われてた(笑)。……まあ地方の田舎のこと、しかも中学のときまでの話だけどな。
中学では、色んな地域の成績優秀者が選ばれる、「リーダー研修」ってやつにも選ばれたことがあって、俺は調子にのっていた。「勉強なんて、ちょろいもんだぜ」「本気出せば楽勝だな」って、余裕こいてた。でもそのうちに、なんか違うぞって気づいたんだ。
だって進学校を目指している奴の勉強量って、とんでもないんだよ。部活にも入んないで毎日塾に通って、睡眠不足の青白い顔して学校に来てる。そんな必死こいてる姿を見たら、俺はあそこまでできないなって思ったよ。そんであっさり、勉強で勝負することを放棄した。
予備校時代もそうだったな。「●●大学に合格しないと、俺の人生、終わりなんだ!」とか言いながら、狂ったように勉強している奴が、けっこういた。俺は、何が終わりなんだろう?って、心底不思議だった。
彼らが、東大や早稲田、慶応やらに合格したときも、別にスゴイとは思わなくて、むしろ当たり前だよなって思った。紙に何回も同じ英文を書いたり、お経を唱えるように音読をしたり、まるで頭で参考書を食ってるみたいだったから、そりゃあ受かるよなって。
俺には、「こいつら面白いことしてんなあ」としか思えなかったんだけど、そんな奴らを世間では「頭がいい」って評価する。その風潮に違和感があった。
その違和感の正体を、スッキリ見つけたのは、大学に入ってからのことだ。大学一年の時の、俺のクラスの担任だった唐木幸比古教授。教授を見てたら答えがわかった。
唐木教授は、スーパーコンピューターの創設に携わった人で、このままいけばノーベル賞の候補になるってくらい、実績のある人だった。
大学入学後の履修届けの日、俺は大遅刻をしてしまって、教室に入ったときには、他の学生の自己紹介や挨拶はすでに終わっていた。だけど唐木教授は、遅刻した俺に注意することもなく、「君も自己紹介と挨拶をしてください」と言った。
俺が「こんな大学で学ぶことはない」って豪語したら、周りはドン引きしてたな。だけど教授は、「君、おもしろいねえ」と言ってくれたんだ。それから俺は、教授にずいぶんかわいがってもらった。ゼミ生でもないのに、教授室に遊びに行ったり、ラーメン屋に連れて行ってもらって、奢ってもらうこともしょっちゅうだった。
教授からは、いろんな話を聞いた。その発想っていうのが、またすごくてさ、凡人にはないアイデアがぼんぼん出てくるんだよ。「唐木先生、それはお金になりますねえ」って俺が言うと、教授もうれしそうに、「いつかこれで特許をとろう。そんときは君が社長をやればいいよ」なんて言ってくれた。
俺は教授からいろんなアイデアを聞くのが、楽しくてしかたなかった。教授みたいな人を、本当の「天才」「頭がいい人」って言うんだなって思った。だいたい教授は、超一流大学から山ほどスカウトがあったのに、あえて専修大学で教鞭をとっていた。そういうところが、ほんとに頭がいいっていうか、オシャレだろ?
唐木教授は、俺が大学をやめて7年後、突然亡くなってしまった。あんなにすばらしい才能が消えてしまって、天は無情だなと、俺は思ったよ。
それから警備業時代、仕事中に交通事故の被害に遭ったときのことだ。そのときにお世話になったのが、弁護士の西幹忠広先生。西幹先生は俺の事故の、加害者側の弁護をしていた。つまりは俺の敵側の先生だったはずなのに、なぜか俺を気に入ってくれて。
俺はそれから十年間、月に一回は西幹先生の事務所に遊びに行き、勉強をさせてもらった。先生はいつも、「法律の細かいところなんかは覚えなくていい。法感覚、『法感』を学びなさい」と言って、指導をしてくれた。
西幹先生は、常に毎月数百件の案件を抱えていて、ほとんど毎日、家と事務所と裁判所を往復するだけの生活を送っていた。年に一度、スキー旅行に行くのが、唯一のリフレッシュだと言っていたな。
それにしても、数百件もの案件をどうやって考えているのか、俺は聞いてみたことがある。西幹先生の答えはこうだった。「朝起きたときはAさんの案件を考え、トイレで小をしているときはBさんの案件を考え、大をしているときはCさんの案件を考え、昼食時にはDさん、昼食が終わったらEさん……。そうやって毎日少しずつ、それぞれの案件について考えつづけていると、あるとき答えが出るんですよ」
つまり目が覚めている間はずーっと、分刻みで数百件分の案件を、来る日も来る日も繰り返し、考えているんだな!
西幹先生は東大出身だ(唐木教授もだ)。でも西幹先生は、「私なんて、たいしたことはありませんよ」といつも言っていた。なぜなら先生の通っていた高校(もちろん超進学校)の同級生には、新学期に配られた教科書をその晩さらっと一読しただけで、すべて理解してしまうような、そんな頭脳の持ち主がゴロゴロいたからだ。そしてその同級生こそが、大人になってノーベル賞をもらっているんだよ。
なんていうかもう、次元の違う話だな!
唐木教授と西幹先生に共通していたのは、人とはまったく違う角度からものを見て、発想しているってことだ。俺は彼らの話を聞いて、何度、目からウロコが落ちたことか。誰にもないような発想ができる人、どこまでも深く深く考えて答えを出せる人、そして、それを実行にうつして結果を出せる人。それがほんとの「頭のいい」人なんだよな。
そういう意味では、超有名タレントとか、超一流のアスリート、超一流アーティストなんかも、「頭がいい」「天才」な人たちだよね。
俺が学生のときに会った「頭のいい奴」、あれはたんなる「暗記力のいい奴」だったにすぎない。この「暗記人間」については、長くなるからまた別の機会に書くけど、もういい加減、「暗記力がある」=「頭がいい」っていう勘違い、やめたらどうかと俺は思うよ。
西幹先生が俺によく言ってた。「私たちはノーベル賞をもらえるような優秀な頭脳はないのだから、そういう人の傍で、その人たちがどのように物事を考えているのか、その考え方、頭の働かせ方を、勉強しなければなりませんね」。
西幹先生ですら、自身を謙遜してそう言うくらいなんだから、俺なんて、グダグダ考えずに、感性…「Don’t think! Feel!」を貫くしかない。
でも二人の先生から、人とは違う視点で見る、発想するっていうやり方を学べたことは、この仕事をするうえでも、すごく役に立っている。俺には頭脳はなかったが、運があった。若い時に、こんだけ素晴らしい巨大師匠に出会えたんだからな。
大感謝だ!