日本はもはや、「命」もすべて、「自己責任」! 相模原障害者施設殺傷事件8
先日、教育関係者と話をする機会があったのだが、昨今は義務教育の過程においても、「本人の意思」が最大限に尊重されつつあるらしい。たとえば子供のやることに対して、大人(教師)が、これまでの経験から「それでは上手くいかない」「あとで後悔する」と分かることがあっても、子供自身やその親が決めたことであれば、よけいな口は挟まない、という。
その結果、子供が暴走して大きな失敗をしようが、後悔をしようが、「自己責任」ということで片付けられてしまうわけだが、これは精神保健分野と同様であり、もはや社会の風潮なのだろう。
しかしここまでくると、「専門家」の存在価値とは何だろう? と考えてしまう。
たとえば相模原の事件でも、植松容疑者の措置診察に当たった二名の精神科医は、それぞれ「大麻精神病」「非社会性パーソナリティー障害」、「妄想性障害」「薬物性精神病性障害」と診断している。
責任能力の有無は別として、彼が精神科での治療が必要な人物であったことは、紛れもない事実なのだ。しかし措置入院の早期解除に至るまでの過程には、以前にもブログで書いたように、人権派弁護士の介在があったのかもしれないし、退院後、役所や保健所の連携による継続的な支援もなかった。
俺はここに、精神科医の診断すら、ないがしろにされている現実を思う。
こうなってしまった大きな要因の一つとして、2014年の法改正で「保護者の義務」を廃止したことが挙げられる。法改正前は、努力義務規定ではあったが、本人に治療を受けさせるなど、保護者の義務が設けられていた。
たとえば、措置入院のような強制入院が行われた場合も、家族は、退院後の監督義務を真摯に受け止めなければならず、医療機関の指示に従う義務もあった。しかし法改正により、それさえなくなってしまった。精神科医の立場に立ってみれば、植松容疑者のような患者を診たときに、「医療保護入院で継続して治療をすべきだ」と考えても、家族にそれを勧告するだけの、法的根拠がなくなってしまったのである。
もはや「人間の命」に対する責任は、誰も負わない(負えない)。あるのは「自己責任」だけだが、精神保健の問題で言えば、それは「自己責任」にとどまらない。患者が他害行為や迷惑行為を行っていれば、被害を被るのは家族であり、地域住民なのである。
それもすべて、「本人の意思」を尊重した結果なのであるが、重篤な症状のある精神疾患に関しては、「病識」の有無という問題がある。
アメリカの神経学者によれば、病識がない=治療や服薬の必要性を認識していない状態は、「病態失認」と呼ばれるれっきとした症状の一種で、脳の一部がダメージを受けたときに起こることだという。(アルツハイマーや脳卒中を患った人の一部でも起きるそうだ)
となると、現行の保健所の対応や、地域移行のシステムの要である「治療や支援を受けるかどうかは、本人の意思を尊重する」という考えは、病識のない=「病態失認」の状態にある患者に対して、まったく意味をなさないことが分かる。
たとえば、俺が少し前に携わったある男性は、長年のひきこもり生活により、精神疾患を発症しており、説得をして、医療につなげることはできたが、長年の不摂生がたたったのか、入院中の健康診断で内臓に腫瘍が見つかった。
主治医は当然のことながら、内科での精密検査を勧めたのだが、患者本人は「腫瘍なんかあるわけがない。何度も検査を受けさせて、金儲けがしたいんだろう!」と、院内で暴言を吐くなどして、精密検査を拒否しているのだ。
彼は、精神疾患だけでなく、身体疾患(の可能性)も認めようとしない。これこそまさに「病態失認」の典型的な症状である。
この患者さんに対して、「本人が拒否しているんだから、しょうがない」と言うのと、家族にも協力を求めて、何とか説得して精密検査を受けさせるのと、どちらが本当の意味で、本人の命を守ることになるか。同じ人間として「心ある」対応になるか。答えは、考えなくても出るというものである。
このような「病態失認」の状態にある精神障害者こそ、継続して医療につなげるための手厚いフォローや、症状の重さによっては長期間の入院治療が必要なのではないかと思う。実際のところ、かつての精神科医療では、そのような患者に対して、根気強く治療を続ける医師や看護師がいたし、受け入れてくれる病院もあった。
ところがそのような治療さえ今は、「社会的入院」と断罪され、長期入院の患者が多い病院は、「=悪」とみなされる。病識のない患者への継続した治療やケアこそ、医師や看護師のマンパワーがなければできないことなのだが、それに対する正当な評価は、なされていないのだ。
それ以前に、家族や周囲の人間が「治療が必要ではないか」と思っても、「本人に意思がない」ことを理由に、医療のレールに乗ることさえできない。
とくに、暴力行為が付随している患者に対しては、先日の記事でも書いたように、主管行政機関である保健所の対応は、「幻覚妄想、病的興奮等の精神症状に左右されていない暴力行為」は、「傷害事件として司法化されるべき」と言い切り、家族に対しては「事件化することの重要性を根気強く説明するしかありません」としている。
仮に、本人に精神科の受診歴や入通院歴があったとしても、保健所に行って「事件化」を勧められた以上、「精神障害者ではなく、犯罪者です」と言われたも同然である。
俺は保健所に対して、今までさんざん物申してきたが、「事件化せよ」と、家族に向かって言わなければならない現場職員の方々には、さすがに心の底から同情する。
厚労省にしてみれば、危ない案件は事件化を勧めて警察に振ればいい、という考えかもしれないが、いかに治療に結びつけるかを相談にきた家族に対して、現場職員がマニュアルどおりに安易に「事件化」を勧めたことで、本当に、被害者を多数出すような深刻かつ重大な事件が、起きないとも限らない。
俺が思うに、そのうち事件化となってしまった家族が、「保健所に事件化を勧められたから、こうなった!」と言って、訴訟などを起こす例も、出てくるのではないか。その危機感が、厚労省にあるとは思えない。
繰り返すようだが、病態失認の状態にある患者は、一定数いる。病識がないゆえに「本人の意思」では治療が継続せず、被害妄想などの症状が悪化し、他害行為や迷惑行為を繰り返す。
アメリカの「脱施設化・地域移行」では、この病態失認の状態にある患者までもが、ケアもなく地域に放り出されために、患者のホームレス化、そして事件化(刑事施設の精神病院化)を招いた。この事実を重く受け止め、日本の体制に活かしていかねばなるまい。
最初の話に戻るが、義務教育課程の未成年の子供たちにしても、脳みそは、まだまだ未発達、発展途上の状態なのである。その子供を相手に「本人の意思」を尊重するというのは、病識のない=健全な状態にない患者の意思を尊重しようとするのと同様に、まったくもって無責任であると感じる。
とはいえ、この風潮こそが、スタンダードとなっていくのだろう。そして、このような風潮を作ってしまった責任は、我々一人ひとりにあるのだ。
たとえばこの数日間でも、未遂含め、何件もの親族間の殺人事件が起きている。事件の背景には、それぞれの事情や理由があり、日本の雇用体系の悪化、社会全体の不安も影響しているかもしれない。そこに至るまでの経緯に、同情すべき点もきっとあるだろう。
しかしよくよく考えてみると、日本には昔から、間引きや座敷牢のように、都合の悪いものは排除してきた文化がある。結局のところ、時代は変わっても、自分の意に沿わないもの、気に入らないもの、都合の悪いものは排除・排斥する……根本にあるその文化は、変わっていないのではないか。
殺人まではいかなくても、たとえばとことん追いつめて、子供の心を壊してしまう。そういう親も、たくさんいる。家族という間柄だと、とくにそれが「やりやすい」というだけで、実は、一般社会でも同じ現象が起きている。
自分にとって都合の悪い人間は、相手の能力や人間力に関係なく、とことん足を引っ張り、いじめて、活躍の場を与えない。残念ながら日本では、そのようなメンタリティの人間のほうが、上手に金儲けができて、社会的地位も得られるようになっている。
俺はいつも、障害者も健常者も、同じ「人間」という視点でしか見ていない。植松容疑者を擁護するつもりはないが、彼だって同じ「人間」だ。事件の前には、家族も友達も植松容疑者から離れていき、完全に孤立していた。社会行動において、明確な精神異常のサインを彼自身が発していたからこそ、あの事件は食い止められた。関係者が一丸となり、なんとしても食い止めなければならなかった。
そしてこれから先、このような事件を起こさせないために、どうすべきなのか。各専門家が諦めることなく、必死に考え続けなければならない。保健所が、家族に対して「事件化せよ」と推奨するなど、愚の骨頂だ。相模原の事件で亡くなった19名の方、重軽傷を負った26人の方、ご遺族はもちろん、助かった入居者の方、職員の方々、地域の方々の前で、そのセリフが言えるのか、と俺は問いたい。
今どき「事件化」なんて、暴力団の組事務所だって安易に言わない。このままでは、取り締まるべきは保健所だ! ということにすらなりかねない。
とはいえ……公的機関が「事件化せよ」とまで言わざるを得なくなった背景には、子供に対して責任を持たない親の激増、親子関係の大崩壊という、日本の家族の真実の姿があるのだろう、と思う。不穏な事件が増えた、と嘆く前に、我が身を省みなければなるまい。
最後になるが、長くアメリカに在住している知人から、精神疾患に関係のある興味深いニュースがあったと、メールをいただいた。ざっくり要約すると、以下の内容である
・アメリカの研究で、社会行動における精神障害と免疫障害とが密接に関係していることが分かった。
・自閉症の子供に免疫障害が多いことは分かっていたけれど、どの物質が原因なのか分からなかった。それがマウスの実験で特定できた。
・近年、アレルギー症状が増えているのも、自閉症が増えているのも、抗生物質の過剰摂取(医薬品だけでなく、養殖魚や牛・鶏などに大量に投与され、食物を通して入ってくる抗生物質)による免疫障害だとすると、道理にかなう
この結果により、社会行動における精神異常の原因を突き止めるべく、免疫障害というアプローチから研究がなされているという。他害行為や迷惑行為につながってしまう精神疾患の症状に関して、現在の医学(薬物療法や認知行動療法)とはまた別の解決方法が、提示される日が来るかもしれない。
それまでは俺も、一般市民の方々への啓蒙、拡散を頑張っていきたい。
そしてあらためて、亡くなられたやまゆり園の方々のご冥福を祈るとともに、事件に巻き込まれた方々が、一日も早く日常を取り戻せるよう祈りたい。