調和理論
この仕事をしていると、本当にたくさんの人と出会う。
対象者や家族はもちろんだし、珍しい職業のせいか、
まったく畑違いの仕事をしている人からも興味を持ってもらえて、
会って話ができる機会に、恵まれてきた。
そうやっていろんな人の、いろんな生き方を見てきたが、
この年になってつくづく思うのは、
良くも悪くも、「人生はバランスだ」ということである。
この根底には、大学時代の恩師、唐木先生の教えがある。
「ものごとはすべて調和している」「バランスでできている」
というのが、唐木先生の口癖だった。
これは、先生の専門である物理学の見地からも証明でき、
「相対性理論」をも超えるものだと、先生は言っていた。
「調和理論」で本気でノーベル物理学賞をとる! とも言っていた。
「人・物・金のどれにも、近づきすぎてはいけない。
その三角形の真ん中に立つような生き方をしなさい」
という先生の教えも、調和理論に基づくものである。
最近のぶっ壊れた家族を見ていると、まさにそうだな! と思う。
親からして、「調和」や「バランス」のとれた生き方ができていない。
「人・物・金」で言えば、「物」や「金」に近づきすぎている。
子供が、ひどく偏った生き方になってしまうのも、当たり前である。
この、「調和」「バランス」という概念は、
どの人の、どんな生き方にも、当てはまる。
長い目で人生を見たときには、良い意味でも悪い意味でも、
帳尻が合うようにできているのだ。
だからこそ、唐木先生は、こうも言っていた。
「若いうちは、目先の良いことに飛びつくな」
「良いことは先送りにしなさい」
これも、若いうちに苦労をたくさんしておいたほうが
年とってからが楽しくなるぞ、という意味だったんだな。
この教えが身体に染みついていたので、俺は
たとえば同じバブル世代の奴らが、調子よく楽しい人生を歩んでいるのを見ても
うらやましいとは思わなかった。
そういう奴らは決まって俺のことを馬鹿にしたけど、別に腹も立たなかった。
そして最近は、いよいよ時代の潮目が変わったのか、
そうやって調子こきまくってきた同世代が、
ぼちぼち下降線をたどりつつあるのを、目の当たりにするようになった。
先日も、ある業界で働いている知人と会ったのだが
「やっぱりな……」という話を聞いた。
その知人は、俺より少し年下で、
大手企業を相手に、フリーランスで仕事をしている。
彼が出入りしている大手企業は、
長年安定して華々しさを保ってきた企業なのであるが、
このところ、さすがに以前のような勢いがなくなってきているという。
とくに今の20~30代の若い働き手は、
「大手企業だから」なんていう基準では、仕事を選ばない。
今はベンチャー企業のほうが、勢いもあり、自由もあり、金回りもよい。
当然のことながら、若い働き手はそちらを選ぶ。
だから、彼の属する業界の大手企業では、
面白い仕事ができる若手の人材がどんどん離れていき、
圧倒的な人手不足に陥っているのだそうだ。
結局、必要な人材をキープするために、
その部署の責任者や、肩書きのある人間が、若い働き手に頭を下げ、
泣きつかなきゃいけないほどの事態だという。
で、その責任者や肩書きのある人間というのが
ちょうどバブル世代、俺と同じ年代の奴らなんである。
俺はその話を聞いて「なーんだ」と思ったね。
以前から何度も書いてきたことだが、
いわゆるバブル世代が就職した時期は、実力や能力なんて関係なく、
ちょっとした大卒の肩書きがあるだけで、大手企業のお偉いさんが、
「うちの会社に来てくれ~」と、ペコペコ頭を下げに来たのである。
そして最初から好待遇で迎えられ、「君は有能だ!」とおだてられ、
会社から、さんざん甘やかされてきた。
もちろんその中でも、一生懸命、仕事をしてきた人はいる。
そういう人は人脈もあるし、なにより自分で仕事を切り開いていけるから、
会社が下火になろうが、人材難になろうが、関係がない。
むしろ今になって、若い人間にペコペコと頭を下げ、
「なんとかうちの会社の仕事を手伝ってください、助けてください」
と泣きつかなければならないのは、
若い頃、目上の人たちから頭を下げて迎えられ、旨い汁を吸い、
調子に乗って努力もせず、今さら1人では仕事もできない50代だ。
自分がしてもらったことは、
ひと様にもしなければならないように、できているのだ。
「でも、そういう人に限って、若手に頭を下げたりしないんですよね」
と、俺の知人は言った。
調和理論で言えば、挽回のチャンスすら逃している。
このままでは、下降するだけの人生になるだろう。
でも俺の知人を含め、誰も力を貸そうとは思わない。
それもまた、「自分がしてきたことは、返ってくる」というバランスなのだ。
唐木先生の教えは真実だった!
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