アルコール依存症の真実とは!

 

ツイッターにも書いたのだが、昨日、読んだ記事。

「ちょっと、一杯」の裏に隠れたアルコールのリスクとは?

 

要約すると、

・アルコールの最大のリスクは、なにかからの逃げ道として依存してしまい、自殺の主要因になること

・社会がアルコール依存症への見方を変え、(本人や家族が)弱さを語れることが早期介入につながる

といったことが書かれている。

 

これについて異論はないのだが、俺には「?」と思える箇所もあった。

 

依存症は「人」に依存できない病だと言われる。自分の弱さを覆い隠すために、「人」ではないなにかに依存する。

 

国立精神・神経医療研究センターの専門家の先生がそう言っているので、

何かしらのソースがあるのだとは思うが、

俺が見てきた(接してきた)アルコール依存症の姿とはまったく違う。

 

たしかに、依存のきっかけは、大きな問題やストレスを抱え、相談できる相手もなく、

「酒で解消するしかなかった」ということがあったにせよ、

たいていは酒量が増えるにつれ、家族や第三者を巻き込んでいく。

 

「酒代をよこせ」「酒を買ってこい」「つまみを用意しろ」と、家族に強要する。

 

知人や飲み屋の店主(ママ)などに「酒を奢ってくれ」「金を貸してくれ」と泣きつき、

閉店時間が過ぎても、自分の悩みや愚痴を吐きつづける。

器物損壊や対人トラブルなど警察沙汰を起こし、後始末をさせる。

 

これを、人への依存と言わずして、何と言うのか?

 

アルコール依存症と思しき客も、多数目にしてきたであろう全国の飲み屋の店主(ママ)たちが、

「人に依存できない病云々」の記事を読んだら、「ふざけんな!」と叫びだすのではないだろうか。

 

それに「人」に依存できない病だと言うのなら、

アルコール依存症に定番の概念「共依存」は、どう説明するのだろう。

…など、いろいろと疑問がわいてくる。

 

依存症の根底には、精神病質やパーソナリティ障害があり、

主病(アルコール依存症や薬物依存症)と複雑に絡み合うようにして、

対人関係や行動様式に問題を抱えていることは、

専門の精神科医や研究医の中では定説であるはずなのだが、

その概念が、ここへ来て急に変えられようとしているようにも思える。

 

こうなるときは、だいたい裏側に何か動きがある。

それも、お金の動き(この場合でいえば国からの予算など)である場合が多い。

「早期介入」と言いながら、本来はアルコール依存症のレベルではない人たちを、

アルコール依存症の患者とすることで、新たなニュービジネスを作るつもりではないか?

裏読みの得意な俺は、そんな疑いをもったりする。

今後の動きを、注視していかなければならない!

 

もちろん「早期介入」が重要であることはたしかだが、

依存症は「否認の病」とも言われる。

生活に支障を来しはじめ、家族やひと様に迷惑をかけるようになり、

自らの身体をこわしても、自分が依存症であるとは認めない。

 

俺は、重度のアルコール・薬物依存症の患者をたくさん見てきたが

その中には、もう何度も入退院を繰り返しており、

院内でもトラブルを起こすことから、

医療機関からも受け入れを拒否されている患者もいた。

 

行政や医療機関への相談を繰り返してきた家族にとっては、

専門家の「相談してください」「治療が必要なので、本人を連れてきてください」

という言葉は、もう「聞き飽きた」。

それが、本音ではないだろうか?

 

ちなみに、依存症(アルコール健康障害対策・薬物依存症対策・ギャンブル等依存症対策)

については、予算も昨年比で約5倍に増額され、

以下のような事業計画が厚労省により、立てられている。

 

(厚労省のHP (5)精神・障害保健課/心の健康支援室/医療観察法医療体制整備推進室 資料2より)

※現時点での、依存症専門病院リストはこちら。

 

これにより、俺が携わってきたような、緊急性の高い、

最難関のケースが医療につながり、救われることを願うばかりだ。

 

明日発売の月間コミック@バンチは『「子供を殺してください」という親たち』は、

「アルコール依存症」がテーマだ。最先端をいく専門家が読んだら、ぶっとびそうな内容だ。

だが、それこそが、俺がこの目で見てきた「リアル」なのだ!