押川が見た! ストーカー事件の本質【民事半分、刑事半分】

DVとかストーカーとか、男女交際のもつれからくるトラブルが本当に多い。昨日、千葉県市川市で起きた刺殺事件も、今日になって復縁を迫っていた元交際相手が逮捕された。被害にあった女性は、ほかの元交際相手ともトラブルを抱えていたという報道も、なされている。

実は俺のところにも、そういう相談はけっこうな数、ある。加害者側(の親や家族)も、被害者側も、どちらからの相談も同じくらい多い。相談を受けて、詳細を聞いていると、こういうトラブルになるカップルの傾向は、おのずと見えてくる。

 

まず言えるのは、たいがいが「下半身中心」の交際をしているということだ。

出会い系で知り合ったというケースが多いことも事実だ。それこそ、「下半身中心」の交際の最たるものではないだろうか。しょせんはルックスとか肩書きとか、そんな表面的なところからしか入りようのない世界なのだ。

こういうことを俺が言うと、「セックスが目的だったわけじゃない。メールのやり取りをして感じがよかったから会ったんだ」って言う人がいる。でも、「メールだけ」なんて五感を使わない関わりをもったところで、本当にその人の人間性が分かるのか? と聞きたい。

見てくれが好みだからとか、ちゃんとした会社に勤めてるからとか、寂しい時に優しくしてくれたからとか、そういう馴れ初めも、俺からすると、「下半身が反応しちゃったんだね」って感じだ。人間としての付きあい(信頼や尊敬など)から始まってないんだよ。

本能むき出しの、獣のような付きあいから始まれば、獣のような行為が続くのも当たり前だし、別れるときだけ人間的に美しく…ってわけにはいかないのも当然のことだ。入口が獣なら出口も獣なんである。

 

また、俺が携わってきたケースに限って言えば、事件化したときには「加害者(男性)」「被害者(女性)」の関係であっても、交際時における「こころ」の支配関係は、“逆”というケースが少なくない。つまり、「被害者(女性)」が「加害者(男性)」を支配関係においていたり、金も気も使わせたりしている。

女のほうは往々にして、美人とか可愛いとか、男からチヤホヤされるのに慣れている場合が多く、男を翻弄するテクニックも持っている。だから男のほうは、女の思わせぶりな行為に、「唯一の人」とのめり込み、金やプレゼントを貢ぎ、嫌なことをされたり言われたりしても我慢して過ごしている。そして最後になって、一方的に別れを告げられたりする。冷静に考えれば、そんな関係は、いつか破綻するのだ。

一昔前ならば、こういうことがあっても「そもそも信頼関係がなかったのだ」「自分が馬鹿だったのだ」と、納得できる人のほうが大多数だった。でも今は、「嫌われる」「失敗する」「馬鹿にされる」といったストレスに耐えられない人間が、圧倒的に増えた。だからその時を迎えると男は、これまでに積もり積もったストレスを、獣的な行為で埋め合わせようとする。

俺は前々から、「刃物はペニスの象徴」だと主張しているのだが、まさにその通りの事件が起きているというわけだ。

 

それからもう一つ顕著なのは、被害に遭っている女性のほうは、警察にも相談に行っているにも関わらず、「(相手を)逮捕してくれ」っていうことを強く訴えていない。あるいは110番通報をして、いざ相手が逮捕されると、「本人が反省しているなら、厳罰は望みません」などと言う。

言っておくけれど、男女交際のストレスにすら耐えられず刃物を持ち出すような男は、本質的には気が小さく、陰湿な側面を持っている。110番通報をされて、警察に捕まって「もうしません」と言ったり、警察官の前で大人しいふりをするのなんて、お手のものなのだ。

逮捕の結果を導きながら、途中で被害届を取り下げるという中途半端な対応では、加害者側にしてみれば、被害者(女性)が事件をどう受け止めているのか分からず、かえって逆上のきっかけにもなりえる。

俺が業務で動いているときに、こういう警察での被害者の対応を目にした場合、「本当のことを全部話さないと、あなたを助けられない!」と、被害者に迫る。そうするとやっぱり、被害者のほうにも、表に出されたら困ることや、男ばかりを責められない要素があるのだ。

昔はともかく今のご時世、警察も事件につながる可能性の高いケースは、積極的に検挙したいと考えている(2013年11月1日 読売新聞)。でも、二人の関係が複雑で見えにくいものであるほど、警察が刑事事件として踏み込めない部分が出てきてしまう半分は民事で、半分は刑事ってやつだ。さらに女性側が被害届を出さないとなれば、それ以上は介入できない。

警察に介入してもらって問題を解決しようと思うなら、すべて洗いざらい事情を話すことは鉄則だし、徹底してやらない限り、真の解決には至らない。(この徹底の中には、その後、被害者がシェルターに入るなど居所を変えたり、民間の警護をつけるといった対応も含まれる)。

しつこいようだが、本来「民事不介入」の分野に官公庁が介入するということは、「当事者間」で円満解決すべきはずの問題に対して、それができない理由がある、ということだ。つまりは身の危険を感じるレベルに達しているのだから、もはや加害者に対して曖昧な態度をとるべきではない。

加害者に、自分のした行為が「事件」に該当する行為であると認識してもらうためには、明確に一貫した対応をとる必要がある。その一貫した態度と覚悟により、警察も対応がとれるのである。

「加害者にかえって恨まれる」という意見もあるが、「殺される」という最悪な事態や、危機感を抱くようなことが起こりうる状況で、相手を受け入れるような態度は、微塵も取るべきではないし、それをやったときには、護ってはもらえない。また、それが加害者を更生させることにもつながるのである。

 

こういう問題を起こさないようにするには、男女交際に関わらず、“人間としてのつながり”が大事なんだと、俺はつくづく思う。だけど、そういうところにも、格差社会のひずみは出ている。金を持っているとか、仕事がうまくいっているとか、そういう人は少なからず、人間同士のつながりも持っているわけだし、寂しさの部分は、物を買ったり旅行をしたり、趣味に没頭したりして、金によって埋め合わせることもできる。

だけど、獣化して事件を起こしてしまう人間の多くは、金もない、仕事もうまくいっていないで、自尊感情も育まれていない。その穴を、無料の出会い系サイトや無料の携帯アプリなんかで埋め合わせようとして、なおさら「こころ」のつながりのない、空虚な異性関係ばかりを積み重ねてしまう。

金がないとか仕事がないとかそんなものは、本当は、考え方ひとつで、いくらでも面白おかしく生きていけるんだけどな。しかし今の時代、それはもはや精神論でしかない。俺はやはり、この手の問題には、精神科での治療しかないと考えているし、実際に、加害者側(の家族)からの相談に対して、精神科医療からのアプローチを試み、解決に結びついたケースもある。

 

警察庁でも、今年5月にこのような方針を発表している。

ストーカー、治療でも予防へ…警察庁が方針転換(2013年5月5日 読売新聞)

また、10月の三鷹の女子高生殺害事件を受けて、11月1日より、警察庁、被害者遺族、専門家による検討会が発足してもいる。被害者保護や、加害者の逮捕に向けた捜査を重視する姿勢を打ち出し、警告を受けるなどした加害者には、治療やカウンセリングを促す制度を導入する方針をかためてもいる(2013年11月1日 読売新聞)。

前回の三鷹の事件も、今回の市川の事件も事件を起こす前から、容疑者に不審な言動があったことが、報道されている。俺は、彼らをとりまく人間関係において、誰もそれに気づかず、手を差し伸べる人もいなかったのだろうかと、それが悔やまれてならない。

人間としての尊厳を取り戻し、人間としてつながることを学ぶ、本来なら家族関係において育まれるべき部分だけれど、今はそれを期待できない。だからこそ極論かもしれないが、義務教育すら過ぎてしまったあとは、その入口は、医療やカウンセリングでしかないのではないだろうか。

 

改めて言うが、今回の記事は、あくまでも俺が携わったケースに即して書いている。被害者の女性たちに関しても言及しているが、仮に彼女たちの言動に落ち度があったとしても、尊い命が奪われる理由にはならない。だからこそ俺はこれからも、「説得」という手段を用いて、加害者を医療につなげるという取り組みに邁進していくつもりだ。

また、とくに若い人たちには、こういった事例を教訓にして、“人間としての付きあい”について、よく考えてみてほしいと思っている。

最後に改めて、亡くなられた女性のご冥福を心よりお祈りいたします。