ヒューマンライツ
「精神疾患」や「ひきこもり」とひと言でいっても、症状や状況の軽重はさまざまだ。そして治療を含め支援をする専門家の方々が「何でも対応します」ということはあまりない。障害をもつ方々が増える中で、支援をする側にも、相手を取捨選択する余裕が生まれているからだ。もちろん、そんなことは専門家の誰も明言はしない。
俺のところでは、医療につながれないまま長い年数が経過し、症状も慢性化・固定化してしまった患者さんをもつ家族からの相談を主に受けている。問い合わせの時点で、本人の症状が比較的軽度と考えられ、行政などの支援を受けられそうな家族には、そのように説明してお引き取りいただいてもいる。それゆえに、俺が書いている本や漫画に出てくる対象者については、一般の人々には「これが現実とは信じられない」と映ることもあるようだ。
「ほんのわずかな家庭で起きている問題を、社会問題のように大袈裟にとりあげすぎ」と批判されたこともあった。このように言い切れる方は、周囲にこういった問題を抱える家族がおらず、また近隣や職場等でも見聞きすることがない、非常に恵まれた環境に住んでいるのだろう。だからこのようなご批判に対しては、とくに感じるところもない。
しかしその中でとても残念に思うのは、「当事者」とされる方々、そして「当事者」に関わっているはずの専門家から「こんなの事実じゃない」「嘘ばかり書くな」「差別につながる」などと非難されることだ。これこそが、命の危機に瀕している重度の当事者が、医療や支援の対象にすらなっていない証拠ではないか、と俺は思う。そしてこのような非難が起きやすいがゆえに、重度の当事者の治療や支援に当たっている専門家ほど、無用な争いを避け発信を控える、という悪循環だ。
最近は、当事者の方が、たとえば障害をテーマとしたメディアでコメントをしたり、インタビューを受けたりしているのを目にするようになった。当事者が主宰するイベントなども活発に行われているようだ。それは素晴らしいことだと思うのだが、少なくとも、俺が携わっている症状の重い患者さんたちは、そのような発信も、活動に参加することも難しい。
長く継続して入院治療を受けており、医師や職員の方も一生懸命携わってくれているが、未だ会話が成り立たないような患者さんもいる。精神科病院という場所で多くの職員に支えられているからこそ、睡眠や食事をきちんととり、健康を保ててもいる。そういう患者さんも、現実には存在する。
症状が重いことに加え、陰性症状や対人恐怖が強い方にとっては、地域移行(グループホームでの生活)が「オールハッピー」とは言い切れないようにも思う。グループホームでは、運営主旨などにもよるが、入居者は作業等に参加するようになっていることが多い。入居者同士のトラブルもないわけではなく、人の出入りは激しい。グループホームに入居したものの、環境になじめず症状が悪化し、再入院となった方もいる。
地域移行はさらに進み、「グループホーム(施設)ではなく、アパートなどを借りて地域で暮らす(一人暮らしする)」という動きもはじまっている。こういった状況を見るにつけ、日常生活もままならず、家族でも支えきれないような症状の重い方の居場所は、いったいどこにあるのだろうと考えてしまう。
医療や支援は誰もが受ける権利があるが、本来の順番から言えば、症状が重い方ほど優先して、医療や支援を受けられるべきではなかろうか。今はそれが逆転し、重度の方こそが、なかなか医療や支援につながれず、家族間殺人を含め事件につながりやすくなっている。
そして事件が起きてしまったときには、議論の余地もなく、あっさりと司法に振り分けられる。本来あるべきヒューマンライツは、いったいどこへいったのか。