「長年プレハブに監禁」凍死の長女 体重わずか19kg

「長年プレハブに監禁」凍死の長女 体重わずか19kg

大阪・寝屋川市の自宅で33歳の長女の遺体を放置した疑いで逮捕された両親が長女を「長年、プレハブに監禁していた」と供述していたことが新たに分かりました。

死体遺棄の疑いで逮捕された柿元泰孝容疑者(55)と妻の由加里容疑者(53)の2人は18日、自宅の一室に長女の遺体を放置した疑いが持たれています。警察の調べに対し、逮捕された2人は「長女は16歳、17歳ごろから精神を患って暴れるようになったので、プレハブに監禁していた」「最近は一日1回しか食事を与えていなかった」と供述しているということです。プレハブの広さは2畳ほどで、2重扉で外側から施錠する仕組みになっていました。また、内部からは鍵は開けられず、室内には監視カメラが付けられて暖房もありませんでした。警察は監禁致死の疑いもあるとみて、長女の死亡の経緯を調べています。

(引用元:テレ朝news

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年の瀬に、非常に哀しい事件だ。

だが、俺の著書や漫画、ブログを読んできた読者は、この事件も、おそらく氷山の一角でしかない、と感じたことだろう。

 

拙著「子供の死を祈る親たち (新潮文庫)」でも書いたが、日本では明治から昭和中期にかけて、精神病者監護法に基づき「私宅監置」が行われてきた。病院に収容しきれない精神障害者を、行政の許可を得て私宅に設けた一室(座敷牢)に閉じ込めていたのだ。今回の事件は、まさに現代版「座敷牢」と言える

 

俺はこれまでに、一歩進めば、この事件と同様の状況になるだろう家庭を、たくさん見てきた。精神疾患が悪化し、心身の健康を損なっているにも関わらず、家庭内に放置されている対象者たちだ。あからさまな監禁はしていなくとも、長期ひきこもりの果てに家から一歩も出られなくなった子供を、“見守っている”だけの親もいた。その中には、ほとんど寝たきりとなっていた方や、身体疾患に罹患している方もいた。

 

家庭内暴力(DV)や虐待が常態化している家庭もあった。家庭内暴力というと、対象者から家族への行為を思い浮かべるが、逆のパターンもある。心身が弱まり、抵抗する力を失った対象者への暴力や虐待だ。家族が満足な食事を与えず、ガリガリに痩せ細った対象者の姿を、俺は何度も目にして来た。

 

寝屋川の事件を見て、多くの人が、「行政に相談するべきだった」「なぜ医療につなげなかったのか」と憤ることだろう。それは正しい指摘だ。しかし、行政機関に相談した「その先」や、医療につないだ「その先」にも、数々の難問が山積していることは、あまり知られていない

 

第一に、行政による医療へのアクセス(移送)の問題は、未だ解決していない。治療の必要性を感じていても、患者本人を説得できず、困り果てている家族はごまんといる。最近は、行政職員(保健師など)による自宅訪問の機会も増えつつあるが、本人の拒否に遭った場合、それ以上の介入ができる仕組みがない。

 

そして、地域移行の現実。地域での受け皿は十分とはいえず、早期退院後、自宅に戻るしかない患者もいる。その環境や人間関係が適切でなければ、予後は決して良くない。現場の専門家(精神科医やソーシャルワーカーなど)は、その事実をデータとして既に持っている。それでも、地域移行の流れはもはや変えられないため、誰もが口をつぐんでいる。

 

何よりも、早期退院が主流となった結果、治療に時間のかかりそうな症状の重い患者は、最初から病院に受け入れてもらえない。治療を受けるチャンスさえ、もらえないのだ。医療へのアクセスが確立していない中で早期退院や地域移行を進めることは、「家族のことは家族で解決するように」と言われているに等しい。

 

一般の方々が「行政に相談すべきだった」「なぜ医療につなげなかったのか」と、正論を振りかざすのはたやすい。だがその正論を、辛く受け止める家族もいるはずだ。地域移行に光と影があるならば、今回の事件は、明らかに「影」を象徴する事件だろう地域移行を絶賛し、綺麗事ばかり並べてきた専門家は、この事件になんとコメントをするつもりか

 

繰り返すが、今回の事件は氷山の一角にすぎないと俺は思っている。世の中が浮かれまくる年末年始に、死を思うほど追いつめられている家族が、少なくない数存在する。今回の事件に触発され、同様の対処をしよう(もっとうまくやろう)と考える家族も現れるのではないかと、俺は危惧している

 

加害者である両親をかばうつもりは毛頭ない。今後、厳正な処分が下されて然るべきだとも思っている。だが、どうして16、7歳の娘を監禁するに至ったのか……。方々に相談したが、どうにもならなかったのか? 本人が医療機関を受診したことはあっても、継続した治療に至らなかったのか? 家族の背景にある真実に踏み込み、その「影」の部分を、一般の方々にも分かるように周知していかなければならない。

 

メンタルヘルスに関する情報は世の中にあふれている。しかし、患者を抱える家族の実情、それも「影」の部分については、ほとんど知らされない。精神科医療に携わる専門家でさえ、悲惨な家族の実態を知らないこともある(親子間で殺人未遂を起こした当事者に対して、退院後、家族の元に戻ることを勧める専門家は、驚くほど多い!)。偏見云々以前に、真実を知らないからこそ、当事者や家族の気持ちにも理解を示せない。そして、「家族のことは家族で」と追い込まれた先に、事件がある

 

今回の事件を特殊な家庭の話と思ってはいけない。超高齢化社会を迎え、社会情勢も不安定な現代では、誰もが障害者になりうる。いつか我が身にも起こるかもしれない出来事なのだ。ならば、この事態をどうやって打破するか? 一人ひとりが「真実」を知ることだと、俺は考える。それは事件の真実であり、日本の精神科医療や精神保健福祉行政の真実でもある。メディアや専門家に対しても、表面的な綺麗事で満足するのではなく、真実を追究すべきだ。真実の先にこそ、建設的な議論も生まれる。

 

最後になりましたが、長く孤独で苦しい時間を過ごしたであろう故人のご冥福を、心からお祈り申し上げます。