兵庫県三田市の監禁事件~無法地帯(逆戻りする社会)
通報までに1ヶ月を要す
兵庫県三田市の監禁事件だが、俺がもっとも憤りを覚えたのは、行政(市)がこの事案を把握してから通報までに1ヶ月もかかっていることだ。本来であれば、福祉相談員が父親から「息子を閉じ込めている」と聞いた時点で110番通報し、その日のうちに保健所職員が自宅訪問、長男(男性)を保護していなければおかしい。
刑事訴訟法第239条第2項においても、通報義務がある(通説)ことは明確だ。
(刑事訴訟法第239条)
- 何人でも、犯罪があると思料するときは、告発をすることができる。
- 官吏又は公吏は、その職務を行うことにより犯罪があると思料するときは、告発をしなければならない。
俺がもし仕事中にこのような現場を目にしたら、即座に110番通報をする。ただでさえ昨年、寝屋川で同様の痛ましい事件が起きているのだ。あの事件が何の重しにもなっていないことに、愕然とする。
市は通報が遅れたことに対して、「異常な状態だったが、男性の健康状態や家族の対応から緊急性はないと判断した」と話している。しかし、「25年も檻に入れた生活を送らせている」のだ。その後の報道では、男性が失明していたことや、腰が曲がっていたことも明らかになっている! あくどいことを考える親ならば、1ヶ月の間に檻などの証拠を隠滅することもできただろう。とても恐ろしいことだ。
「(檻のあるプレハブには)エアコンがついている」「食事や入浴はさせている」「悪気はない」…等の状況があったとしても、犯罪を見過ごしていいという理由にはならない。最終的に起訴するかしないか、罪に問うべきか否かは司法機関が判断することであり、市が判断することではない。行政機関が、まるで自分たちが司法機関であるかのように事件を扱ったことが、この事件のもう一つの大きな問題だと俺は考える。
グレーな対応は、未来永劫なくならないのか
被害者である男性は、障害者手帳を持っていた。監禁を始めた当時を含め、市に何度か相談があったことは事実であることから、おそらく市は、自分たちの対応に落ち度がなかったか、遡って調べることに時間を要したのではないか。男性を施設に移し、あわよくば事件自体、なかったことにしようと考えたかもしれない。通報が1ヶ月も遅れた理由はそこにあるのではないのか? と、俺などは考えてしまう。
穿った見方と言われるかもしれないが、障害者手帳の申請手続きは、診断書や写真など申請書類が整えば家族でもできる。昔に比べて少なくなったとは言え、家族の要望に応じて、患者を診察せずに薬を処方する医師もいる。過去に俺が携わったケースでは、無診察投薬を何十年も続けていた家族も少なくなかった。
その中の一つのケースでは、本人が精神科を受診し、処方された薬も効果があったが、その後本人が通院を拒んだために、親は医師に相談の上、自分の名前でカルテを作り、水薬を処方してもらっていた。その薬を本人の飲み物や食事に混ぜて与え、症状を抑えることを何十年と続けた。やがて親も年老いて定期的な通院が難しくなり、本人の症状も悪くなる一方であったことから、俺のところに依頼が来た。
そんなケースも経験していたから、今回の事件も、もしかしたら、親と医療機関や行政機関が結託して、無診察投薬や障害者手帳の更新をしてきたような事情もあったのでは!? というところまで考えてしまったのだ(実際には、障害者手帳は取得したものの、更新はできていなかったと思われる)。
精神保健福祉の現場では、医療や行政など支援する側も、家族も、グレーな対応に目をつぶってきた歴史がある。市は今回の対応について検証する第三者委員会の設置を表明し、その結果、なんらかの対応策がとられることだろう。だがこれは、三田市だけの問題ではない。グレーな対応は、形を変えて今でも至る所で起きているからだ。
法の遵守より、人権尊重
行政機関や医療機関が、病識のない患者や、処遇対応困難な患者に対して関わろうとせず「何かあったら110番通報を」と警察(司法)に丸投げしている現状は、拙著「子供を殺してください」という親たち (新潮文庫)(第三章 最悪なケースほどシャットアウト)にも書いている。
「子供を~」は2015年に刊行した本だが、その後も「地域移行」は着々と進み、「地域で支える」ことが主軸となっている。どんなに症状が重篤であっても長期入院はもはや難しく、それゆえに医療機関は、治療に時間のかかりそうな処遇対応困難な患者は最初から受け入れない。それは施設も同様だ。受け皿がないから、保健所など行政機関は、家族から相談を受けてもお茶を濁すしかない。そしてそれを、「ご本人の意思を尊重した結果です」ともっともらしく説明する。
こうしてどの専門機関からも見放された家族が俺のところに相談に来る。俺は現場に行き、家族・本人ともに命スレスレの状況にあることを目の当たりにする。「ここまで窮地に陥っている家族を、なぜ誰も助けてくれなかったのだ!」俺はいつも心の中で叫ぶ。
精神保健福祉にまつわる痛ましい事件が続くことの本質は【精神保健福祉の分野では、事件になりうる、人命のかかっているようなことであっても、行政や医療機関をはじめ支援をする側が、自分たちの都合で取り扱うことができる】ということにある。当事者や家族は、行政機関や医療機関から「相手にされない」「受け入れてもらえない」という形で、無言の裁きを受けている。こうしてルールも責任の所在もないまま、「地域移行」だけがものすごいスピードで進んでいる。
「地域移行」により追いつめられた家族が、「家族や近隣住民に危害を加えるよりは…」と、当事者を自宅に監禁・軟禁するような事件は、今後も増えるだろう。いやもうすでに、日本の至る所で起きているのではないか。
寝屋川の監禁事件に関するブログでも書いたが、日本には私宅監置(俗に言う座敷牢)が認められていた時代があった。ルールと責任の所在なく進む「地域移行」の実態は、かの時代に逆戻りどころか、いっそう無法地帯と化している。痛ましいことだ。