鹿児島県日置市 5人殺害事件~地域移行にどう関わるか

鹿児島県日置市で、近隣住民を含む5人が殺害される事件が起きた。

現時点での報道によれば、容疑者は無職であることなど生活態度を祖母に注意され、不満をもち殺害、それをとがめた父親や、様子を見に来た親族、同じアパートの住民を次々に殺害したという。

祖母殺害、気づいた父も 鹿児島5人殺害、容疑者供述

鹿児島県日置(ひおき)市東市来(いちき)町湯田の民家で男女5人が殺害された事件で、近くの無職岩倉知広容疑者(38)=殺人容疑で逮捕=が、祖母の岩倉久子さん(89)を殺害し、それをとがめた父の正知さん(68)も殺したと供述していることが、捜査関係者への取材でわかった。

(略)

生活態度などについて、久子さんから注意されて不満を募らせていたとも供述しており、県警は事件との関係を調べている。

(引用:朝日新聞デジタル 2018年4月11日

 

別の記事によると、祖母は、容疑者の粗暴さや金銭の無心を知人にこぼしていたという。また被害者の一人であるアパートの住民男性は、昨年2月、「容疑者が鉄の棒のようなものを振り回していて危ない」と、日置警察署に相談してもいる。家族は少なからず危機感を抱いており、予兆はあったといえる。

 

容疑者は、祖母が所有する現場近くのアパートで生活し、近隣との付き合いもほとんどなく、住民が姿を見かけることもまれだった。社会との接点はなく、ひきこもり生活を送っていたとみられる。

 

俺への相談でも、家族関係が悪化した結果、親は実家から逃げ出していたり、本人のためにアパートを借りてやったり…という、「独居」型ひきこもりの相談は少なくない。家族が現状を細かに把握できないために孤立が深まり、精神疾患の発症や病状悪化があっても気づかれにくい。ゴミ屋敷化や近隣住民とのトラブルも招きやすく、表面化したときには、すでに対応困難に陥っている。

 

もちろん、ひきこもり生活を送る誰しもに、精神疾患があるわけではない。だが、孤立した不健全な生活が何十年と続けば、思考から健全さが失われてゆく。被害妄想的な考え方や、他罰思考が強まる傾向もある。

「そんな人物を一人暮らしさせるなんて、家族は何をしているんだ」と思う方もいるかもしれない。しかし、これも立派な「地域移行」であることを、俺は断言しておく。地域移行とは、シンプルに言えば「高齢者や障害者に限らず、困っている方がいたら、住民同士で支え合おう」というシステムだ。

 

自治体に金も人も足りない今、国は着々とその方針を進めているが、肝心の地域における「連携」は進んでいるとは言いがたい。むしろ、長期ひきこもりも含め精神保健福祉における「地域移行」では、 極度の“ふるい分け”が進んでいる。いつも言っていることだが、処遇対応困難な方ほど、行政機関や医療機関、民間の支援施設からもたらい回しにされ、家庭に、もしくは独居というかたちで放置されているのだ。

 

 

地域移行の一つの結末

日置市の事件も、「地域移行」の一つの結末だと俺は思う。事件の発端は祖母との諍い(家族の問題)にあるが、殺害をとがめた父親に手をかけ、様子を見に来た親族、そして同じアパートの男性も、巻き込まれるかたちで殺されてしまった。

 

こういった事件と「地域移行」を絡めて論じることには、少なからず批判もあるだろう。「針小棒大だ」と言われることも、ままある。最近は、8050問題(ひきこもりなどが長期化した50代の子供と、80代になるその親が、社会から孤立し行きづまること)について盛んに議論されるようになり、中には「その人にはその人の人生があるのだから、無理に介入したりせず、そっと見守りましょう」という論調も見受けられる。俺も、たとえば重い病気や障害をもつ方を、一律的に一般社会のレール(就労など)に乗せることが正しいとは思わない。

 

しかし、地域による「見守り」が機能するのは、あくまでも専門家による最低限の支援が確立されているケースに限られる。それがないのでは、心身の健康が損なわれている状況の方に対して、見て見ぬ振りをすること=放置に過ぎない。その状況を、近隣に住む一般市民に「見守って」というのは、あまりにも現実感覚の欠けた、荒唐無稽な話だ。

 

日立財団Webマガジン「みらい」に掲載されている、守山正氏(拓殖大学政経学部 教授)の論文「親子間の葛藤~親殺し・子殺し」でも、高齢化した両親と、無職で収入の途がない引きこもりを契機とする事件について、以下のような記述がある。

このような引きこもりを契機とする家族間の事件は今後、さらに顕在化することが十分考えられる。なぜなら、引きこもりから脱却する手立て、たとえば就職や結婚などの契機はほとんど展望がなく、そのまま加齢が進むと高齢者の引きこもりが増える可能性があるからである。次の図は、厚生労働省「子ども・若者白書」に示されたものであるが、「若年無業者(15歳~39歳の非労働力人口のうち、家事も通学もしていない者)」が平成25年で全国に80万人がいるという現実は、今後、家庭内葛藤を増大させる大きな要因であろう。この統計には40歳以上の引きこもりを含んでいない点に注意を要する。要するに、上記の事例は他人ごとではないのである。

 

医療や支援につながっていない精神疾患や長期ひきこもりに起因する事件は、たびたび起きている。そしてそういった事件が起きるほど、一般市民の気持ちは、「できれば関わりたくない」「SOSを発せられても、どうしていいか分からない」というほうに傾いていくだろう。その気持ちを、「差別」や「偏見」と断じることはできない。

 

とはいえ、親族や知人がそのような問題を抱えていたり、あるいは地域で看過できない問題が起きていたりして、関わらざるをえないケースもある。俺が言えることは、関わりを持つのであれば、【とにかく情報(時期と内容)を把握しておくこと】だ。家族ほど、問題を矮小化して話す傾向があるため、安請け合いせず、詳細をしっかり聞いておく。

 

そして【必ず公的機関を介入させること】。相談や訪問の段階であれば、市区町村の役所や保健所になるし、緊急性や危険性のある状況ならば、管轄の警察署になる。それが、地域移行を成しえるための鉄則だ。「行政に相談しても、たらい回しにされるだけだと、押川自身が書いているじゃないか」と言われてしまいそうだが、それでも、SOSを発し続けてほしい。万が一の事態が起きたときには、相談履歴が重要な記録となる。それに、家族や近隣住民が発信力を持ち、声をあげ続けない限り、自治体も国も変わらない

 

このような注意喚起をしなければならないのは、とても残念なことだ。改めて言うが、きちんと医療や福祉とつながっている方々については、地域での共生が可能であり、お互いに助け合うこともできよう。しかし、社会的介入者がおらず、家族とも満足なコミュニケーションがとれていないような方に関しては、一般の方々による安易な介入は勧められない。情報の把握や公的機関への相談は、よその家族の問題を大ごとにするようで気が引けるかもしれないが、“牧歌的な地域による見守り”は、もう失われつつあるのだ。そのことを肝に銘じておかねばならない。

末筆ながら、被害に遭われた方々のご冥福をお祈りいたします。