精神的安全をどう守るか
俺はふだん、命に関わるほどの家族の問題について相談を受けている。家族は俺に、「親子で命を奪い合うようなことはしたくない」「事件沙汰は困る」と訴える。つまりは「物理的安全を守ってくれ」という依頼だ。
しかし、家族が望んでいるのは「物理的安全」だけではない。それだけなら、単純な解決方法として家族が本人を置いて家を出て、どこかに身を隠すなどすればいい。家族は、「精神的安全」も強く求めている。「子供の将来を心配することなく、心穏やかに暮らしたい」という願望である。そこには、我が子に対する「きちんと治療を受けてほしい」「健康を取り戻し自立してほしい」という願いも含まれる。
本人にとってみても、たしかに入院生活やグループホームでの暮らしには、辛い・きつい側面もあるが、心身の健康を損ねた状態からは脱することができる。また、医療につながることで受けられる公的サポートや、人とのつながりも生まれる。
つまり俺の仕事は、精神的安全を提供し、それを守ることなのだ。
病識のない重篤な精神疾患について、行政や医療の仕組みが崩壊している昨今、精神的安全を提供することは容易ではない。俺のところにくる家族の中には、子供の問題にふりまわされ、自分たちも心を病んだあげく、カウンセリングを受けたり宗教に頼ったりしている人もいる。そうすることで少しは心が軽くなっても、子供の問題が根本解決しないかぎり、精神的安全を得るところまではいかない。
精神的安全を得てもらうためには、複雑化した心の問題に具体的に介入できなければいけない。これから先、AIがどんなに発達しても、そこだけは残ると俺は思う。逆に言えば、精神的安全の提供ができてこそ、プロフェッショナルを名乗ることができ、ビジネスとしても成り立つ。
これは、メンタルヘルスの分野に限ったことではない。なぜなら、精神的安全を脅かす存在は、その正体を隠し、我々の身近に増えつつあるからだ。
わかりやすい例として、俺が携わったA男という人物について話そう。A男はかつて警察沙汰になりかねないトラブルを幾つも起こし、俺やスタッフの介入でなんとかその界隈から逃げ出した。その後は、ずっと派遣の仕事を転々としていたのだが、ここへ来て良い出会いがあり、その方の下でアルバイトをするようになった。地に足のつかない生活から、固定のバイトに切り替わり、言ってみれば一つ、ステップアップできたのである。俺はA男に、「ここが正念場だぞ。しがみついてでも頑張れよ」と伝えた。
1か月後に様子をうかがうと、人手の足りない職場ということもあり、かなりシフトを入れてもらって、本人も休むことなく通っているという。俺は少しだけ安心した。ところがそこからさらに1か月もした頃、別ルートからの情報で、A男の働きぶりが俺の耳に入ってきた。職場の同僚の女性が、A男のせいでノイローゼになりかけているというではないか!
俺は残念に思うと同時に、「やっぱりか!」とも思った。A男とはもう数年の付き合いなので、その女性が追い込まれた経緯は聞かなくても分かる。ここでは詳細は省くが、A男はまさに、他者の「精神的安全」を脅かす性質を持った男なのだ。
どうせなら分かりやすく「仕事をまったくしない」「無断欠勤をする」ところまでやってくれれば話も早いのだが、表面的には、7~8割のことはこなしているように見える。本人なりに一生懸命なところもある。しかし、「ここぞ」という肝心なところで職場のルールを破ったり、上司の指示を無視したりする。しかも意図しないミスなどではなく、愉快犯的にやっているところがある。
そういうときの心境について、かつてA男は「自分の振る舞いで相手が困っているのを見ると、ニヤニヤ笑ってしまう自分がいる」と話した。だから、一生懸命真面目に働いている人ほど、A男の言動により今まで構築してきた諸々のことを破壊されたような気持ちになり、大打撃を受ける。
ちなみに、A男は某有名大学を首席で卒業し、まあまあ名の通った会社の就職試験も通っている。そういう社会性は身につけていても、他者の精神的安全を脅かすような生き方しかできていないのである。
とはいえ、A男には同情の余地もある。俺はかつて何時間にも渡りA男から生育過程を聞き取ったが、A男は親から嘘をつかれ、振り回され、親の都合で利用されて生きてきた。つまり、「精神的安全」をまったく与えられずに育ってきたのだ。A男は俺と出会った後、親と袂を別つために実家に乗り込んだ。そのときの報告を聞いた俺は絶句した。A男の親が我が子にかける言葉には、最初から最後まで一粒の思いやりもなかったからだ。さすがに哀れに思った。
A男の親は俺と同世代だが、この世代には、こういう人間が目立って多いように思う。多感な時期をバブルというめちゃくちゃな時代に過ごし、学歴や肩書きという見栄えのよいものばかり追い求めてきた。しかもそれは、金や物という即物的なものに直結していた。実際、暗記ができて試験さえ通れば、それらはいとも簡単に手に入った。人間の血肉になるような、キツい・汗臭い経験はバカにされ、勘違いと欲求が肥大する異様な空気があった。
その空気が、人の心の機微をくみ取れない人間を増産したと思う。彼らは学歴が高く知識や語彙は豊富でも、人を元気にするのではなく、人の心を蝕むコミュニケーションばかりが得意だ。そんな50~60代が、今、会社では若い有能な部下をたたきつぶし、家に帰れば我が子にも同じことをしている。ヤクザのような分かりやすい脅し・恐喝ではないからこそ、タチが悪い。
そんなふうに育てられた子供が、精神的安全を得られるはずがない。最近、若い人が新幹線で通り魔と化したり、派出所を襲って警察官を殺したり、拳銃を奪ったりという物騒な事件が相次いでいるが、俺は、「なぜ」なんて思わない。大人たちから精神的安全を脅かされて育った子供が、突発的に精神的安全を脅かす行為を行う。新幹線のような逃げ場のない場所での通り魔的殺人、派出所という安全の象徴のような場所への襲撃。それがすべてを物語っているではないか。
そういう人間をどう見抜くか、また、どう対応するかは、俺の経験してきたことであり、人生のテーマでもある。もう少し考えてみるつもりだ。