年の瀬に思うこと
今年1月、徳島県小松島市で、強迫性障害と診断されて自宅にひきこもっていた娘(39)に頼まれ、母親(67)が首を絞めて殺すという事件があった。母親は犯行後に自殺を図ったが一命を取り留め、殺人容疑で逮捕。鑑定留置を経て嘱託殺人罪で起訴された。
9月末、徳島地裁は「精神的、肉体的に疲弊し、著しく追い詰められた状態だった」として、母親に懲役2年6月、執行猶予4年の判決を言い渡している。
その事件に関する記事が、徳島新聞に掲載されていた。
以下に一部を引用する。
「母として、最後にしてあげられることだ」。1月31日朝、小松島市の民家。この家に住む母親(68)は自分に言い聞かせながら長女=当時(39)=の首にひもを巻き、両手に力を込めて引っ張った。約18年間、精神障害を抱える長女のケアを懸命に続けた末の決断だった。
(略)
長女は「お母さん、そばにいて話を聞いて」と甘えた。昼夜関係なく4時間でも5時間でも付き合う母。家事以外の時間は長女の世話に費やし、徳島地裁であった公判では「つらいと思わなかった」と振り返った。
(略)
心身とも限界に達したが、「心が折れていたわけではない。娘の世話から解放されたいと思ったことは一度もない」と裁判官に向かってきっぱりと話した。
流産などを経験し、結婚7年目に3度目の妊娠で授かった一人娘。子育ての苦労と喜びを教えてくれた大切な存在だった。殺害を懇願されなければ、この先もずっと一緒にいるつもりだった。
「引きこもっていたって、生きていてくれさえすれば良かった。おいしい物を食べさせて、ずっと守ってあげようと思っていた」。証言台で、絞り出すようにまな娘への思いを打ち明けた。
母親は「つらいと思わなかった」「心が折れていたわけではない」と証言している。酷な言い方かもしれないが、俺には、この母親が娘を殺してもなお、「世間体」や「きれいごと」をまとっているように思えて仕方ない。
起訴の段階で、容疑が殺人から嘱託殺人になっている経緯からも、娘が自死を望んだそれなりの証拠があったのだと思われる。しかし家族の問題は、第三者(専門家)が介在していないケースほど、外からは知りようのない事実が隠されている。
仮に娘が「死にたい」「殺してくれ」と言っていたのだとしても、それは本当に本心だっただろうか? 多くの自殺企図や自殺未遂がそうであるように、娘からの必死のSOSではなかったか? 当事者が亡くなってしまえば、まさに死人に口なしだ。親も十分に苦しんだとはいえ、子供の命を奪うという罪に対して、執行猶予付きの判決が下される。命とはいったいなんだろう。
別の記事(娘、体調悪化で希望失う 通院拒否「楽になりたい」~連載「孤立する家族」2)によると、娘はかつて医療につながったことがあるが、思うような快復がみられず、本人も通院を拒否。父親は多忙で頼れず、母娘が孤立していった経緯がうかがえる。
「ずっと一緒にいる」「ずっと守ってあげる」……耳に心地よい言葉だが、それが子供の幸せにはつながらないことを、この事件は図らずも証明している。いろんな理由(精神疾患であることを周囲に知られたくない、本人が第三者の介入を嫌がる、相談したが誰も助けてくれない等々)から、子供を家庭内に抱え込む親は多い。
だが、親子という関係だからこそ、子供の主張や欲求はとめどなくエスカレートする。子供自身も、最初のうちは良くとも、しだいに将来への不安が頭をもたげるようになる。親はどんどん年老いていくのだから、当然だ。
よほどの精神力を持った人間ならともかく、大多数の凡人にとって「孤独」や「孤立」は悪い方にしか作用しない。これは俺の実感だ。どんなかたちでもいい、糸みたいな細さでもいいから、「社会」や「第三者」とつながっておくべきだ。そのつながりを作ることが、親の役目でもある。「ずっと守ってあげたい」と思うほどの我が子なら、なぜそれができなかったのか……。
こういった当事者や家族を、社会はどう受け止めるのか。専門機関や専門家が反省すべき点、改善すべき点があるのではないか。そこへの追及なしに、「かわいそうな母娘」として受容されてしまうことには、正直言って憤りすら感じる。
来年こそ、こういう事件が減ってほしい。そう書きたいところだが、「8050問題」も解決の糸口さえ見えず、親族間事件はますます増えることだろう。先日も家族の問題に関わりのある専門家と話す機会があったのだが、「押川さんの言うような“危機的状況”にある家族は、うじゃうじゃいます」と言っていた。「親自身の考え方も歪んでおり、アドバイスをしても聞く耳をもたない」「もう解決のしようがない」「触るだけ無駄」と諦めている人もいた。
だが俺は、「難しい」と言って諦めることはしたくない。思考停止は、自らの成長も社会の進化も止めてしまう。だから来年も「やれることを、精一杯やる!」。
皆様もどうぞ、よいお年をお迎えください。
関連記事 トキワノート「親の責任とは」