新年早々、原宿竹下通りの車暴走事件

元旦未明、原宿の竹下通りで軽乗用車が暴走し、8人が重軽傷を負った。新年早々、俺はかなりの衝撃を受けた。

続報によると、容疑者(21歳)が借りたレンタカーの車内からポリタンクに入った灯油や高圧洗浄機が見つかり、「車ごと燃やそうと思った」と話しているという(高圧洗浄機で灯油噴射 原宿暴走逮捕の男計画か)。早い段階で逮捕されたことは、不幸中の幸いだった。

当初、容疑者は「オウム真理教の死刑執行に対する報復」などと供述し、メディアも「テロ云々」と報道していた。しかし、それにしてはあまりにも稚拙な犯行であり、容疑者の詭弁だろうと感じていた。案の定ここへきて、容疑者が以前から抱えていた問題が浮き彫りになっている。

「死刑制度」へテロの原宿暴走犯、21歳の素顔は高校で引きこもり、家庭内暴力だった〈dot.〉

日下部容疑者の同級生はこう証言する。

「目立つタイプではなかった。けど、運動が好きでサッカーとか、マラソンでは成績がよかったです。サッカーでは、よく点を入れていた。休み時間でもよくボールを蹴っていた。性格はおとなしく、穏やかで、自分から話しかけたりするような奴じゃなかった。中学では、サッカーやっていたという話は聞かなかった。勉強はすごくできるタイプではなかったが、それなりにできたはず。ただ、高校に進学した時に、トラブルがあって引きこもるようになってしまったと聞いた。親に手を上げたりするので、警察が家にきたりして大変だったそうだ。それもあって、祖母宅に預けられるようになったそうです」

祖母宅の近所の住民はこう話す。

「日下部容疑者がこっちにやってきたのは、1年も経っていない。昨年夏頃からベランダで『ワー』とか『コラ』と吠えるように叫んでいた。ベランダからロケット花火や爆竹を鳴らして、意味不明なことを叫んでいた。普段は静かで挨拶もするのですが、スイッチが入るとどうにもできないようで、祖母らが困った様子で頭を下げていた」

 

また、別の記事では、容疑者が以前より奇声を発したり、爆竹を鳴らしたりしていたことが分かっている。

竹下通り暴走で逮捕の男、奇声や発射音も=大阪で祖母と同居

昨年秋ごろから「あー」という奇声を何度も聞き、事件直前の年末ごろまで続いたという。女性は「声がやんだと思ったら事件が起きた。(祖母は)自分に何かあっても孫がいるから安心だ、と言っていたのに」と声を詰まらせた。

近くに住む会社員の女性(54)は昨年夏ごろ、「パンパンパン」という、運動会のスタートの際に鳴らすピストルとみられる音を1カ月ほど続けて聞いた。「わー」と、メガホンで叫んだような声が聞こえたこともあったという。

 

昨年の東海道新幹線殺傷事件でも、容疑者の男(当時22歳)は両親と折り合いが悪く、祖母の家に預けられていた。成人した人間が犯した罪に関して、「家族背景は関係ない」「親を責めるな」という意見もある。だが、予防という観点から見ても、生育環境や家族背景を抜きに語れないのではないか

両事件とも容疑者は20代前半であることから、両親はおそらく40代後半~50代といったところだろう。最近は俺の事務所への相談も、この世代の親子からのものが増えている。そして俺自身、その親たちと同世代(俗にいうバブル世代)だ。

バブルという時代がどんな大人を作ったかについては、過去にもブログでいろいろと書いてきたのだが、昨年末、それを象徴するような番組を観た。BSの「中国の小学校で今何が?」である。番組HPのあらすじを引用する。

受験戦争が激しさを増す一方の中国。点数至上主義の「応試教育」が、親から自立できない、コミュニケーションが取れないなどの「社会性の欠如」や、暴力をふるう、いじめに加担するなどの「道徳心の欠如」が目立つ未熟な若者を生み出していると批判されている。そうしたなか、古典を徹底的に暗記させる学校や少林寺拳法を通して心身を鍛える学校が人気を呼び、政府も対策に乗り出した。混乱する中国の小学校教育の現場に密着する。

 

「中国」というフィルターをかけて放送しているが、これはずばり日本の「偏差値至上主義」と同じではないだろうか。日本では、偏差値至上主義のまっただ中に育ち、「暗記さえできれば、いい大学→いい会社」コースを辿ることのできた世代が、今の50代である。そして、この50代が親になり、育てあげた子供たちが青年期を迎えている。ある意味、中国のはるか先を行っているのだ。

 

即物的な子育ての果て

バブル時代の暗記教育に乗ってしまった人たちの特徴に「右から左」というのが挙げられる。これは明らかに暗記教育の弊害だと思うのだが、俺のところに相談に来る親にも顕著に表れている。

たとえば子供が問題行動を起こしたときに、本来ならまずは子供と向き合い、問題の本質を探り、さらには親自身の子育てや生き方を振り返ってみるべきなのだが、やはり「右から左」の対応に終始してしまう。たとえば「専門家」と呼ばれる人間に安易に飛びつき、丸投げしようとする。年老いた祖父母であっても、使えると思えば子供を実家に追いやり、面倒をみさせる。

損得勘定(とくに金銭面)で動くことが多く、少しでも自分の思い通りにならないと、すぐに掌を返す。ふだんは常識人を装っているのに、些細なことで感情的になり、相手との関係をぶった切る……挙げればキリが無いが「即物的」と言えば分かりやすいだろうか。BSの放送内容から、これらも暗記教育の弊害ではないか、と確信した。

このような対応を子供に対してもしているため、その性質がコピーされている。とくに強く懸念されるのが、子供たちの「表面的な取り繕い」が劇的に上手くなっていることだ。心の中には大変なマグマを抱えていて、親の前ではそれを暴発させているのに、第三者に対してはもっともらしい理屈を並べ、物腰の柔らかな態度を見せることができる。親が“マグマ”に気づき、窮状を訴えても、専門家(医療機関や行政機関)が介入できないのは、このためである。

また、自分たちに矛先が向かないよう、子供をコントロールすることに長けている親もいる。子供が問題行動を起こしても、猫なで声で対応し、金やモノを与える。そんなことを続けていたら、いずれ“マグマ”の矛先が自分たち以外の人間に向かうことが分かっていても、「それは本人の責任なので」とシラッとしている。

「親を責めるな、親に責任はない」といくら言われても、親が子供と心を通わせようと努め、たしかなぬくもりが感じられる環境で育つか、外面ばかりを気にする無機質な環境で育つか、その違いに差がないとは思えない。

 

今後はますます、家庭ではおさまらない問題が、社会で事件化していくだろう。欧米では、「人が集まるイベントでは、テロが起こりうる」ことが前提となっている。海外に住む俺の知人は、「よほどのことがない限り、そういった場には参加しない」と話していた。人種や思想の問題によりテロが起こる欧米とは異なるが、日本もまた、「人が集まるイベント」には、それなりの覚悟をもって参加しなければならない時代になってしまった。

最後になりましたが、被害に遭われた方々に心よりお見舞い申し上げ、一日も早く心身の傷が癒えることを願います。