親子間のDVを甘く見るのはもうやめよう
千葉県野田市の小学4年の女児(10)が1月24日、自宅で亡くなり、父親(41)が傷害容疑で逮捕された。学校や行政が虐待の可能性を把握していながら、助けられなかった。「親子」「家族」への認識を変えていかない限り、同じような事件は続くだろう。 まずは各社の報道から、事件に至るまでの経緯を時系列でまとめる。
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2017年7月、一家が当時住んでいた沖縄県糸満市の窓口に、女児の母親の親族から「母親へのDVと女児へのどう喝がある」と相談があった。市は児童相談所や学校にその旨を伝え、7月下旬の終業式のあとには、担任が女児と父親と三者面談を行う(虐待の事実は確認できず)。
市は7月中に家庭訪問を二度、計画したが、父親からの直前の連絡でいずれも延期になり、直後に父親は女児を連れて実家のある千葉県に帰省した。
8月中旬、母親の親族が「一家と疎遠になり子どもが心配」と再び市に相談。市は女児らが沖縄に戻り次第訪問する計画を立てたというが、8月下旬、父親は女児と次女を連れて千葉県野田市に転居した。
女児は野田市内の小学校に転校し、11月の学校のアンケート調査に対して「父からいじめを受けた」と回答。柏児童相談所が女児を一時保護したが、12月27日には、親子関係が改善されたと判断され、自宅に戻る。 一時保護の期間中、児相は両親と8回面談を行ったが、父親は「虐待は思い当たらない」、母親は「わからない」と話していたという。
翌年(2018年)1月、女児は同じ野田市内の小学校に転校。父親は「家の教育方針と学校に相違があるから」と話していた。
年が明けた2019年1月7日、父親から小学校に「娘は沖縄の妻の実家にいる。1週間ほど休む」という電話が入る。さらに11日には、「休みを1月いっぱいに延長したい」との連絡が入った。
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この経緯を見て、昨年3月に東京都目黒区で起きた幼児虐待を思い出した方もいるだろう。わずか5歳の女児が、「もうおねがい ゆるして」とノートに書き残して亡くなった事件である。
このときも、当初、女児一家が住んでいた香川県の児相は虐待を把握し、その危険度を「中度」と判定した。女児は児相に一時保護されたこともあり、父親は二度、香川県警に傷害容疑で書類送検されている(いずれも不起訴)。
そして、最初に虐待が把握されてから約一年半後の2017年12月、父親が先に東京に転居した。翌月には、母親と女児と弟があとを追って転居しているが、母親は児相に対し、転居先については頑なに告げなかった。
香川県の児相は一家の転居先を調べ、管轄である品川の児相へ「緊急性の高い案件」としてケース移管した。県がその旨を父親に伝えると、「それはなんなんだ。強制なのか?任意なのか?」と憤りを見せたという。
女児は幼稚園や保育園にも通わされず、2月20日にあった入学前説明会も欠席した。連携していた区の子ども家庭支援センターは品川児相に連絡を入れたが、品川児相が女児の姿を確認することはなかった。そして、3月2日、女児は痛ましいまでに痩せた状態で亡くなった。
※参考 「パパ、ママいらん」でも「帰りたい」 亡くなった5歳児が、児相で語っていたこと
「親」の資格のない親たち
二つの事件において、親の対応には共通項がある。
- 行政や児相の介入(家庭訪問)を拒む
- 行政や児相の介入後、転居している
- 子供が学校を休む(目黒の事件では女児は未就学児だが、保育園や幼稚園にも通わされず、入学前説明会も欠席している)
加害者である親が、第三者の介入を嫌い、都合の悪いことから逃げていく様が、如実に現れている。抵抗する術を持たない小さな子供に拳を振り上げる、卑劣な人間がいかにもとりそうな行動であり、明確なサインと言える。
そもそもそんな人間が、一時保護中に児相と数回、面談したぐらいで改心するはずがない。俺が携わってきた事例でいえば、親きょうだいに暴力を振るう人間や、警告を受けてもストーカーをやめない人間と、根底にあるものは同じだ。
同じ虐待でも、親が精神的に不安定な場合などは話が別だろう。躁うつ病や統合失調症といった病気が理由で、虐待や育児放棄につながってしまうケースだ。この場合、児相や行政が介入し、子供を保護すると同時に、親自身を医療につなげることができれば、状況は改善する。
野田市の事件や目黒区の事件は、それとは異なる。加害者の人格……要するにパーソナリティに問題があるわけで、それはたかだか数回の面談で改善するものではない。考えてみてほしいのだが、これが家族未満の「恋人からのDV」であったら、おそらく大半の人が、被害者に対して「そんな相手とは別れたほうがいい」「もう二度と関わらないほうがいい」と言うはずだ。
それなのに「小さな子供×親」(家族)の組み合わせとなると、「やり直せる」「改心する」という、性善説を前提とした対応がとられる。これは、「成人した子供×親」の組み合わせでも同じだ。俺はそういう相談ばかりを受けているのだが、精神疾患が要因としてあるとはいえ、(成人した子供から親への)行きすぎた暴力・DVはアウトである。中には、殺人未遂レベルの事件が起こっている家庭もあり、家族が「もう耐えられない」と思うのも当然だ。
しかし行政や医療機関に相談しても、なかなか親身にはなってもらえない。仮に医療につながったとしても、少しでも状態が落ち着くと、退院(家に戻ること)を促される。親が「次は殺される」と訴えても、「本人が望んでいることだから」「親なんだから、受け入れるべき」と言われてしまう。もはや立て直しの効かない「崩壊した家族」があることを前提に、物事を考えていかない限り、親族間事件は増える一方だろう。
目黒の事件を受けて、国は通常国会での児童福祉法改正を目指している。児相における子供の保護と支援を担当する部署を分けるなど、「介入」機能の強化を柱としているという。しかし、介入したあとの危機管理が確立されなければ、家庭に戻された子供が再び虐待の対象になることもありうる。
野田市と目黒区の二つの事件で顕著なように、「親不適格」な犯罪者が一定数、存在することを認めて、「親と離れる」「親と絶縁する」ことを、もっと柔軟に認めていかなければならないのではないか。
もっとも、国は指針を出すだけで、実際に対応するのは自治体である。だからこそ一般市民は、自治体の長が、児童虐待のみならず、精神疾患や介護から生じる家族間のDV等、「家族の問題」についてどのような認識を持っているか、注視しなければならない。そして受け皿として、子供達を「地域で支える」必要性もますます高まるだろう。
いつも言っていることだが、「家族の問題」は決して対岸の火事ではない。児相職員など専門家に対して「もっと頑張れ!」と発破をかけてすむ問題でもない。我々一般市民、一人ひとりの意識にかかっているのだ。