気を遣う
つい先日、俺はとあるDVDが観たくなって本棚を探し、そういや、知り合いの若い奴に貸してたっけ、と思い出した。貸してからずいぶん日が経っていたこともあって、すっかり忘れていたのだ。
俺はすぐに、そいつに連絡した。そしたらそいつは開口一番、「返そうと思っていたんですけど…仕事が忙しくって…」とかなんとか言い訳をはじめた。俺はなんだか、「返してくれ」って言った自分が悪いような気になっちゃって、「お前、暗い声してんなあ…なんかあったのか?」「あのDVD、どうしても観たくなってさ」などと、まるでご機嫌取りのような発言を重ねてしまった。
しかし!
途中で「なんかおかしくないか?」と俺は思い、「なんでDVD貸した俺のほうが、お前のご機嫌取りしなきゃいけないんだよ!」と、いつもの押川が復活した(笑)。
最近の若い奴の中には、俺みたいな年くった奴にご機嫌うかがいさせるのがうまいっていうか、そのやり方が妙に板についてる奴がいる。
俺はそういう姿を見ると、「あー、こいつの母ちゃん(おばあちゃんの場合もある)は、こいつのためになんでもしてやってきたんだろうなあ」って、思う。
子供の時から、進学校に入れて成績をキープさせたり、いい大学に合格させるために、「ちゃんと勉強してる?」「夜食つくってあげようか?」なんて言って、母ちゃん(おばあちゃん)がすみからすみまで、細やかにケアをしてきたんだろうなあ…と思うのである。
これはまさに、「エリートの育てられ方」でもある。
俺からすれば、単なる甘やかしにしか思えないんだけどな。だけどどうも、いい会社に就職している若い奴に限って、「俺はお前の母ちゃん(おばあちゃん)じゃねえぞ!」って言いたくなるくらい、気を遣わせる奴が多いんだよな。
言っておくけれど、俺は年功序列みたいなのは大嫌いだし、「いい仕事をしたいなら、上の人間と喧嘩しろ!」というのを、信条としているくらいだ。つまり、なんでもいいから上の人間を敬えとか、ゴマすったりしろと言いたいわけではない。
若いうちこそ、他人にめいっぱい「気を遣う」、この精神が、大事だと言いたいのだ。
俺は警備業時代、ひとに「気を遣う」ってことだけは、人一倍やってきた。相手がどんな立場であっても、自分がどんな状況にあっても、その心構えだけは、大事にしていた。
たとえば、土木現場の作業員の中には、本当にいろんな人間がいた。見るからにヤバいというか、「なんか悪いことをしてきたんだろうな…」というオーラを隠しきれない人もいた。普通の社会では生きていけず、でも金を稼がなきゃなんないから、身分を隠して、日雇い労働者として働いているような人だ。
そういう人って、現場の作業員同士でも、ちょっと蔑まれているというか、相手にされていないようなところがあった。だからなのか、年が若くて、しかもガードマンやってる俺みたいな奴には、「おい、ガード!(ガードマンの略語) ジュース買っちこい!!」なんてパシリ扱いして、威張っていた。
「自分で行ってくださいよ」って言うこともできた。実際にほかのガードマンたちは、そういうおっちゃんを無視していた。でも俺はいつも、「はい!」と言って、駆け足で自販機まで買いに行った。そんで駆け足で戻ると、ヤバいオーラ全開のおっちゃんが、ちょっとだけ優しい顔になって、「ありがとな」って言うんだ。
こういうおっちゃんはまだしも、相手が俺より二十も三十も年上の、取引先会社の重役だったりすると、もっと人遣いが荒くて、めちゃくちゃだったな(笑)。でも若かった俺は、いつも精一杯、その人のために心を砕いたよ。
きついなあと思うことはもちろんあった。なんで俺が? って思うことも、あった。だけど、「気を遣う」っていうのは、金もない、コネもない、知恵もない、人脈もない…ないないづくしだった20代の俺にとって、唯一の武器でもあった。
その「気遣い」をちゃんと見てくれている人もいて、いざという時に助けてくれたり、俺が多少の無茶をしても、「押川ならしょーがねえや」って、笑って許してくれたりした。
それに気を遣うってことは、相手のことを、とことん観察し、追求することでもある。この人は何が好きなのか? どんな言葉に喜ぶのか? どんな言動を嫌がるのか? その理解を積み重ねることによって、一人の人間が生きてきた背景、生き様が見えてくる。若いうちにその観察眼を鍛えたことが、俺の「説得」の礎にもなっている。
俺はつくづく思うけれど、企業でも役所でも、上の上、最上にいる人ほど、他人に対する気遣いが、細やかで、かつ、なめらかである。相手に、「気を遣ってくれているな」と思わせないかたちで、しかもその相手だけでなく、相手の周囲にいる人、背後にいる人にまで、きちんと気を配る。
企業(役所)のトップオブトップになるような人だから、時には無茶苦茶なこともするし、厳しいことも言う。だけど、その後のフォローを絶対に忘れないのだ。
俺にも、「この人は」って尊敬している人が何人かいるけれど、その人の言葉や行動(つまり「気遣い」)には、「説得のプロ」を称している俺ですら、ついつい、説得されてしまうくらいである。いや、洗脳されると言ってもいいくらいだ(笑)。
俺は若い人に言いたい。仕事を通じて人間としての成長をしたいと思うなら、相手がどんな人間でも、たとえくだらないことばかり言う上司でも、くさらずに「気を遣う」ってことに、心を砕いてみてほしい。繰り返し言うけど、それは単に「ゴマをする」ってのとは違うからな。時には本気でケンカする、これだって気を吐くという気遣いになるんだ。
ビジネスという観点だけで見たときには、どうしたって一定の能力や才能が求められるから、出世コースから脱落したり、やりたいことができなかったりするかもしれない。だけど、若いうちに努力して培った「気遣い」の能力は、どの部署にいっても、どんな仕事に就いても、必ず役に立つ時がくる。
あるいは個人の人格としてみたときにも、すごい武器になる。ひと様を喜ばせ、自分自身を鍛えてもくれるってことなんだよ! 俺が断言する!