ピンチのときに何を思うか
45年も生きていると、人生にはいいことも悪いことも、まるで波のように、周期的に訪れるものだと感じさせられる。
ここのところ、これは大きな挑戦だな、と思うような出来事が続いているが、振り返ってみると、10年、20年前にもあった出来事が、形を変えて再び訪れているのである。
「この事態をどう乗り切るか」「この選択、どちらをとるか」気がつけば俺は、かつてと同じような危機に直面し、選択を迫られている。
こんなとき俺はいつも、より困難なほう、でかいピンチのほうを選んでしまう。使い古された言葉かもしれないが、俺は「ピンチは最大のチャンス」だと思っているからだ。
昔の、それこそ戦中、戦後の時代とは違って、今の時代は、ピンチを避けようと思えば、そういう生き方もできる。というよりは大半の人が、安定を求め、体裁を繕い、仕事上でも、面倒なことはできるだけ避けて、生きているのではないだろうか。
でも、ピンチを避ける生き方には、絶対に、ビッグチャンスも巡ってこない。そもそも、そんな安定した生き方を続けていれば、なにがピンチか? というアンテナもはたらかない。そういう人が、刺激的なことを求め、ヤバいことをつまみ食いしようとしたときには、己のピンチにすら気づかない。エグい奴らに周りを囲まれ、ハメられてどうしようもなくなって初めて事態を把握するのだ。
まあ、いろんな生き方があるが、俺はやっぱり、周りの人が「これは無理だろ…」と思うようなことにほど、燃えてしまうな。それは、その向こうに果てしないチャンスがあると、確信しているからでもある(笑)。
10年、20年前より、俺に襲いかかるピンチの規模は、桁違いにデカくなっている。それだけでも、「俺もいい感じで成長しているな!」と思えるし、昔はたった一人で闘ってきたのに対して、今の俺には、信頼できる人も、相談すればひとつ返事で一緒に戦ってくれる人も、たくさんいる。俺はそれが嬉しくて、今日も自分に気合いをかけるのだ。