人間の器
俺が思う「器の大きい人」の「器」とは、大きいことはもちろんだけど、シンプルで割れにくい。何をのせても耐えうるだけの、厚みがある。
料理で例えれば、美味い飯や見栄えのする美しい料理だけじゃなく、まずい飯も、それこそ冷や飯でも、必要とあればのせられる、そんな器だな。
そして「器の大きい人」の根底には、「他人様のため、世の中が少しでも良くなるために、自分ができることをやる!」という、これまたシンプルかつ強度のある、絶対軸があるような気がするな。
一方で、「器が小さいなあ」と言われてしまう人は、多方向にアンテナを張り巡らせ、どんな人、どんな話題にも、ある程度まではついていける。言いかえれば、カラフルで形も違う、いろんな器を持っていると言える。
だが残念ながら、たくさんありすぎて「これ!」という器が見つけにくく、結果として料理をのせてもらえない、空っぽの器が増えてゆく。
どこかの時点で、今ある「器」だけで勝負しようと思えればいいのだが、年をとっても、あれもこれも…なんてやっていると、当然、割れる器も増える。空の器、割れた器ばかりになれば、自然に卑屈になり、度量はますます狭くなってしまう。
どんな器を選ぶかは人それぞれであるが、俺はやっぱり、でかくて頑丈な器を目指したいなあと思っている。